じりじりと上がる「長期金利」は危険信号か? "金利復活"で高まる【債券市場】ならではのリスク
ただし、金融機関全般の経営基盤が過去に比べて強固になっていること、長期金利上昇のスピードがそれほど急激でなかったことなどから、混乱はそれ以上には広がらず、"大虐殺"と呼称されるような悲惨な状況には至っていません。
◎日本:資金運用部ショックとVaRショック
金融危機に見舞われた1998年の日本では長期金利が、長らく世界の最低記録とされてきた17世紀ジェノヴァ共和国債の1.125%を下回り、10月には0.77%にまで下がりました。
その一方で、度重なる財政出動によって財政赤字が急速に膨らみ、国債が大幅に増発されます。国債の増発は、市場への供給が増えることを意味するので、債券価格には下落圧力となります。
また、海外からは日本の財政持続性に対して疑問を呈する声も強まっていました。そんななかで、当時の大蔵省(現在の財務省)資金運用部が国債の買い入れ停止を発表したのです。
行き過ぎた相場には必ず「反動」が生じる
資金運用部というのは、当時、郵便貯金や年金積立金などの一部を預かって国債の購入などを行っていた大蔵省管轄組織のことです。何百兆円という巨額の資金を動かしており、国債も大量に購入していました。
そんな巨大な買い手が消えてしまう恐怖から、ただでさえ需給が緩んでいた国債市場は一気に暴落します。これが資金運用部ショックです。
その結果、10年物の長期金利は、翌1999年2月にかけて2.4%超にまで上がり、わずか3~4か月のあいだに1.6%以上も上昇しました。
当時は景気が落ち込んでいた時期でもあり、このまま金利の上昇が続くと景気への悪影響も深刻なものになるところでしたが、日銀が1999年2月にゼロ金利政策を導入したことで長期金利の上昇も止まり、混乱は比較的短期間で収束しました。
その後、1%台での推移を続けていた10年物の長期金利は、2002年の後半から再び下がり始め、翌2003年6月には0.43%と最低記録を大幅に更新しました。その当時、景気は低迷しており、さらに1990年代のバブル崩壊で深刻化した金融機関の不良債権問題がなおくすぶり続けていたのです。



















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