もしかしたらあの女のことはもう忘れて、たんに運が悪かったのだ、あれは交通事故に遭ったようなものだ、そう心の中で片づけて新しい生活を始めるべきかもしれない──。
──おっさん、痴漢したよね。
直人は夕食を終えると、少し調べものをしてくるよ、そう妻に言い残して、一人で書斎へと入る。
ノートパソコンを立ち上げ、紫色のアイコンをクリックして、インターネットの深い深い場所へと下りていく。
──加藤清美が通ってるクラブで、うちの若いのにナンパさせて、飲みの席で痴漢の件でカマかけてみたんですがね。残念ながら口が堅いようで、吉田さんの言うような事柄はもらしませんでしたね。ここで言質が取れれば、決定的な弱みを握れたんですがね。その部分の録音データがあるので、必要でしたら調査報告として添付します。
音声データから聞こえてくる二人の会話
直人は若林から、その録音データを送ってもらった。イヤホンを耳にして、データを再生する。清美と若い男は、おそらくはクラブのボックス席で酒を飲みながら会話していた。二人の会話の背後では、喧(やかま)しいダンスミュージックが流れている。
「でも清美ちゃん可愛いからさぁ、電車乗ったら痴漢とか遭いそうだよね」
「そうそう、わたし一年前くらいに痴漢に遭ってさ、おっさんに尻を触られて警察に突き出したことあんだよね」
「なにそれ、超おもしろそうじゃん。詳しく聞かせてよ」
「会社員のおっさんなんだけどさ、駅のホームで焦りまくってたな。わたしは知らないとか言ってさ。結局そいつ逮捕されたから、検索すると未だにネットニュースの記事が出てくんだよね。でも痴漢は犯罪だから、逮捕されて当然だよね。わたしが悪を成敗してやったわけだね。アハハ、アハハ。えー、違うよー、示談金目的でハメたりなんかしてないって。本当におっさんに尻を触られたんだって。アハハ、アハハ」



















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