けんかもする。でも、ひとりよりずっと楽しくて豊か──。《シングルでも結婚でもない"女ふたり暮らし"》韓国発エッセイが示す新しい家族像
私たちふたりは、こんな些細な違いを軽く20個は挙げることができるが、それだけで紙面を埋めてしまうと、「世の中には2種類の人間がいる」で文章を始めるのと同じぐらい怠けることになる。
とにかく、私がボールをいくつも持ってジャグリングしながら、走るように速く、せわしなく、複雑に生きている人だということを、そうではない同居人を見ながらたびたび感じる。
理解の範疇を超える違いもある。
私はキム・ハナを通して、世の中にはイチゴと聞いただけで大喜びする人ばかりではないことを知ったが、いつもうっかりそれを忘れてしまい、一緒に買い物に行くたびにあらためて驚くことになる。
そうして、訝しく思いながら1粒、また1粒と食べているうちに悲しくなる。こんなにおいしいものを前に冷静でいられるなんて(キム・ハナはイチゴよりもスイカやマクワウリ、梨を好む)。
だけど、一緒に暮らす人が必ずしも同じものを好きである必要はない。誰かのことを理解しているからといって必ずしもその人と親しくはならないように、理解できない人のそばで一緒に暮らすこともできる。
自分と違うからといって、変な目で見たり、評価したりしないことは共存の第一条件だ。
けんかもするけれど
ところが、衝突の原因になる違いもある。物を所有することを負担に感じ最小限に抑えようとする人と、ショッピングを喜びやストレス解消の手段と考え、手に負えないほど買い込む人がいたらどうなるか。
ある人はあらゆる物の定位置を決めて使った後は元に戻し、ある人は使った後にそれを置いた場所が新しい定位置になる。物を探すのに要する時間も雲泥の差だ。
これも前者はキム・ハナ、後者は私だ。私たちの最も決定的な違いであり、しばしばけんかの原因になる。どう見ても問題の原因を提供している後者の立場としては、変わろうと努力しているんだけどねと言い訳するしかない。
とにかく違うと強く思っていた領域は、一緒に暮らしながらぶつかり合って削られていき、互いを侵食しながら、少しずつ形を変化させている。
他人を近くで見守りながら生活を共にすると、いろんなことを教えられる。世の中には私とはずいぶん違う趣味趣向や選択が存在するということがわかり、意識しないまま生きてきた自分の特性を意識するようになる。
そして、最大の学びは、こんなに違う人同士でも互いの違いを尊重しながら一緒に暮らせるという可能性を知ったことだ。
違いと同じぐらいたくさんあるふたりの共通点のうちの一つは本が好きだということだが、私たちは本を愛する方法も違っている。
たとえば、私が、5万ウォン〔2019年2月15日時点で約4908円〕以上買うと2000ウォン分のマイレージが追加されるというキャンペーンにつられて、全部読めそうになくても興味のある本をとりあえず買っておいてぱらぱらと読む反面、キム・ハナは、そうやって本が積まれていることにプレッシャーを感じるタイプで、どうしても読みたい本を1冊ずつ注文する。


















