けんかもする。でも、ひとりよりずっと楽しくて豊か──。《シングルでも結婚でもない"女ふたり暮らし"》韓国発エッセイが示す新しい家族像
ただ、ひとりでいることのつらさを避けるために結婚制度と夫の家族と家父長制の中に飛び込むのは、苦労の渦に突っ込むような愚かな行為だった。私をすっかり愚か者にしてくれる魅力的な男性が現れたなら別だけど。
でも、それも私が望んでいることではなかった。私は自然と、違った形の暮らし方を模索しはじめた。
友達に「一緒に暮らさない?」と言ってそれとなく気持ちを探ってみたり、シェアハウスを探したり。そうして、私とよく似た事情の友達と出会い、一緒に暮らすことになった。
同じ釜山の出身で、長い間ひとり暮らしをしていて、そろそろひとりでもなく結婚でもない生活を考えはじめていて、私と同様、猫を2匹飼っていた。
私たちは、銀行で住宅ローンを組んで広いマンションを買った。ふたりがそれぞれマンションを買うよりずっといい条件だった。
ひとりで買える40~50平方メートルの部屋にキッチン、バスルーム、玄関がぎゅっと詰まっているより、それらを備えた90平方メートルほどの部屋をふたりで使うと、広くて快適だった。
4匹の猫も、前とは違って広い空間を跳び回るようになった。そして、何といってもここには浴槽がある。ひとりで暮らすのにちょうどいい小さな部屋に大きな不満はなかったけれど、唯一、浴槽がないことを残念に思っていた。
「ひとり暮らしの喜び」と「同居の利点」を享受
同居人と暮らして2年が過ぎた。満足度は最高レベルだ。同居人は料理とあちこち散らかすことと洗濯機を回すこと、私は洗い物と掃除、片づけ、洗濯物を畳むのが担当で、家事の分担は絶妙にバランスが保たれている。
夜、さて寝ようかなと横になった時、同じ空間に誰かがいると思うだけで緊張がほぐれる。互いの気配で自然に目が覚め、家の中で毎日交わされるあいさつ(おはよう、おかえり、行ってきます!)によって、日常に活気が吹き込まれる。
ひとり暮らしの時、「情緒的体温の維持」のために多くの努力を要したのに比べ、ふたりだとそれが自然にできてしまうのがいい。もちろん、肉体的体温の維持のために、浴槽に浸かることもできる。
それに、最高にいいのは、私たちは今も「シングル」だということだ。
旧正月や秋チュ夕ソク〔陰暦の8月15日、中秋〕になると、それぞれの実家に帰る。双方の両親は、私たちが一緒に暮らしていることにとても満足している。ひとりよりずっと安心だと。
料理上手な同居人のお母さんは、私の好きなお総菜を作って送ってくれる。私は、わざわざ訪ねていったり、親孝行のための旅行を計画する必要もなく、「おいしかったです!」とひとこと言えばいい。ひとり暮らしの喜びと同居の利点の両方がある。
もちろん、私たちはいろんな意味で相性ぴったりの、運のいいケースだが、ひとり暮らし以外には結婚しか選択肢がないと思っていたら、私たちの楽しい同居はあり得なかったはずだ。そんなもったいないことはない。


















