西洋哲学の源流はここにたどりつく。不当な判決に異議を唱えず自らの信条のために毒杯を飲むことを選んだソクラテスの生き方とは

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ソクラテス像
もっとも大きな影響力を持つ思想家の1人(写真:evangelos/PIXTA)
西洋哲学の礎を築いたことでいまなお尊敬され、世界でもっともかしこい哲学者と言われるソクラテス。晩年には政治的思惑に巻き込まれ、「若者を堕落させた」という罪状で収監された。看守を買収して脱獄することが可能だったにもかかわらず、最後は自ら毒杯を飲んで死を選んだ。ソクラテスが裁判の不当な判決に従ったのは、いわゆる「悪法も法なり」で、欠陥があっても法に従うのは大事だと判断したから……という俗説があるが、そうではない。
シリーズ全体で300万部を売り上げた『全人類の教養大全 0』著者であるチェ・ソンホ氏は、法よりも大事なものに殉じたと、その行動を分析している。ソクラテスにとって自らの命より大切なものとは。

徳について討論するのを楽しんだ哲学者

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紀元前496年、ソクラテスはアテナイの中流階級の家庭に生まれた。父親のソフロニスコスは彫刻家で、母親のファイナレテは助産師だった。

若いころには平凡なアテナイの青年のように哲学、幾何学、天文学などを勉強した。

悪妻の代名詞として知られている妻クサンティッペとの間に、3人の息子がいた。30代後半から40代のあいだには、3度にわたってペロポネソス戦争に重装歩兵として参戦したりもした。

彼はみすぼらしい服装でアテナイ広場を歩きまわりながら、いろいろな人と討論することを楽しんでいた。特に正義、勇気、節制、敬虔の徳に焦点を当てて教えを説き、多くの若者が彼に従った。この弟子たちの中には若いころのプラトンもいた。

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