「今日のご飯何?」が重圧に——。料理の時短が進むほど「献立決め」が苦行化する"皮肉"。「考える家事」はシェアできるか?
さらに、調理の負担が減ったのは食卓の理想に縛られなくなったからであり、それは同時に献立の型がなくなったとも言えるため、意思決定の負担が増えたとしている。
その変化には、作業の負担が減った結果、「考える家事」の負担がクローズアップされた側面がある。
献立の悩み自体は、中流層が生まれた近代に広がった100年来の課題である。100年前の中流層は、使用人に家事をすべてさせるほどの財力はないが、調理道具や台所の設備もそこそこ充実し、食材の選択肢もそれなりに豊富だった。
中流層をターゲットにしてきた料理メディアにとって、献立提案は定番企画である。例えば高度経済成長期の『主婦の友』には、1カ月分の献立提案ページがあった。現代のウェブ記事でも、プロが献立の立て方をアドバイスする企画がある。
「献立決め」を難しくする8つの要素
献立を決めるのが難しいのはなぜか。筆者が考えるに、少なくとも以下のように8つの要素を組み合わせるからである。
これら8つすべてを考えなくてよい場合もあるし、他に考慮すべき要素がある人もいるだろう。しかし、献立に複雑な要素を組み合わせる必要がある点は変わらない。献立作りは、最も高度な家事の1つで頭を使う。
しかも、恐ろしいことに「献立決め」は毎日生じる。台所の担い手が家族に1人しかおらず、夕食をほぼ毎日家で摂る場合はその作業が休みなく、何年も、何十年も続く。
家族は毎日規則正しく帰宅し、食卓を囲むとは限らない。急に夕食の要不要が変わる家族もいれば、子どもの塾通いや受験勉強などで、おやつや夜食が必要になる場合もある。
さらに、別の問題が3つある。1つ目は、献立作りは頭の中で展開する、「見えない家事」であることだ。
家族に「今日の夕飯、何がいい?」と聞いたが、「何でもいい」と言われる、あるいは想定外のリクエストでいらだった経験がある台所の担い手は多いだろう。それは家族には献立の難しさが見えない、あるいは無頓着だからだ。



















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