海外客の言葉「源泉かけ流しはもったいない」に衝撃…なぜ私たちは「かけ流し信仰」を抱くのか?人気温泉地で"湯の当たり前"が揺らぐ瞬間
ちなみに旅館大村屋では、源泉かけ流しの半露天や貸切風呂よりも、循環ろ過式の内湯のほうが「泉質が良い」と評価する利用者も数多く存在する。嬉野温泉で温泉を管理する方の間では「嬉野温泉は空気と触れ合って混ざり合うと、とろみが増す」と言われており、この状態を「お湯が練られている」と呼ぶ。循環ろ過式のほうが、より多くお湯が空気と触れ合うため、とろみが増す側面があるのかもしれないが、科学的にはっきりと証明されているわけではない。私も旅館大村屋で、源泉かけ流しと循環ろ過式の温泉を入り比べてみたが、どちらもトロトロの気持ちのいい温泉で、泉質の違いまではわからなかった。
温泉資源を持続可能なものにするために
これまで“本物”の象徴として語られてきた「源泉かけ流し」。だがその裏には、膨大な湯量やエネルギー、管理の労力が隠れている。湯を守る現場を取材するほどに、それがどれほど繊細なバランスの上に成り立っているかがわかった。
源泉かけ流しは、これまで温泉地が育んできた「湯を生かす文化」の一つの形だ。しかしながら、温泉を「資源」として見つめたとき、流し続けることだけが正解ではないという事実にも、そろそろ目を向けてもいいのではないだろうか。
私たちは「源泉かけ流し」という言葉に込められたロマンを尊重しながら、そこに潜む“もったいない”という現実にも、冷静な目を向けるべき時代に来ているはずだ。私は100年後にも温泉文化が残っている未来につながるであろう、「循環ろ過式」にも、ロマンを感じはじめている。
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