景色や文化は世代を超えてつながっていくーー《韓国・明洞》オーダースーツ店での「1コマ」、過去と現在が折り重なる街で考えたこと

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私は答えに詰まった。商店街はシャッター街になり、職人の技術は後継者不足で途絶えつつある。違うのはそのスピードだけだ。韓国が数十年で駆け抜けた道を、日本は数世代かけて歩んでいる。

しかし、それが良いことなのか悪いことなのか、という判断軸が自分の中になかった。変化は、ある時は歓迎すべきことのように思えるし、ある時は名残惜しいこと、場合によっては避けたいことのようにも思える。

結局のところ、変わることへの印象は「誰にとっての変化か」によって異なるのだと思った。

変化は「破壊」ではなく「重なり」

街の変化も、人の記憶も、立場や経験によってまるで違って見える。

同じ景色を見ても、そこに思い出がある人は「残したい」と願うだろうし、特に思い入れがない人は「変わっても良い」と思うだろう。

つまるところ人は、歳を重ねるほど思い出が増え、過去を懐かしむようになる。自分が見てきた景色を、できるだけ残したいと思うようになる。

一方で、若い世代にとっては、多くの景色に特別な記憶がない。だからこそ、変わることを受け入れられるし、ときに新しい変化を歓迎することもできる。

このサイクルは、きっといつの時代にも同じなのだろう。

明洞は、年配世代にとっては高級繁華街の記憶が強いが、今の若者たちにとっては観光地として刻まれている。その思い出が、いつか「観光地のまま変わってほしくない景色」になる。そうやって、景色や文化は世代を超えてつながっていくのだ。

変化は、破壊ではなく重なりなのだ。過去の上に現在があり、現在の上に未来が積み重なっていく。過去が「無くなる」のではなく、層のように積み上がって今がある。私たちはいつも、誰かの記憶の続きを歩んでいる。

帰り際、私はピョンチョルさんにスーツを1着、お願いすることにした。どれだけ急いでも、仕立てには約1週間かかる。その間に一度、仮縫いの状態でサイズを合わせるために店を再び訪れる必要があるという。

今の時代、即日仕上げやネット注文が当たり前になった中で、その手間がどこか心地よく感じられた。

採寸をしながらピョンチョルさんは、静かに言った。

「自分の身体に合ったスーツは、ずっと長く着られるよ。世の中が、どんなに変化しようともね」

80億分の1コマ
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泉 秀一 ノンフィクションライター

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いずみ・ひでかず / Hidekazu Izumi

2013年に関西大学社会学部卒業後、ダイヤモンド社入社。週刊ダイヤモンド編集部を経てNews Picksへ。副編集長、編集長を経て24年春に独立。著書に「世襲と経営 サントリー佐治信忠の信念」(文藝春秋)

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