景色や文化は世代を超えてつながっていくーー《韓国・明洞》オーダースーツ店での「1コマ」、過去と現在が折り重なる街で考えたこと
店主は再び布に向き直り、正確な手つきで裁断を続けた。煉瓦造りのビルも、少なくともこの通りからは消えた。窓の外には、ガラス張りの新しいビルが立ち並んでいる。
「時代と共に、何もかも変わっていくものだよね。それで便利になるんだから、変わるのが悪いこととは思わない。だけどね……」
ビョンチョルさんは、街や世の中が変わることと名残惜しさの間で揺れているように見えた。
便利さと引き換えに淘汰されていくもの
明洞が高級繁華街だった1960年代から80年代、韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる急速な経済成長の真っ只中にあった。この圧縮された成長は、世界史上類を見ない速度で進んだ。
そして明洞は、その繁栄の象徴だった。夜まで明かりが消えない街に高級ブティック、百貨店、喫茶店が軒を連ね、政治家、経営者、芸能人、文化人や芸術家が集った。
1980年代には、民主化運動の拠点にもなった。明洞大聖堂に学生たちが集まり、軍事政権に抗議した。美星NEOのような小さな店も、逃げ場のない学生たちを匿った。
だが、成長の速度は、同時に破壊の速度でもあった。
韓国経済は急成長を実現するために、大手企業への優遇政策を進めた。その結果、大企業による寡占化が進み、街角の小さな店は淘汰されていった。
オーダースーツ文化も例外ではなかった。大手企業が参入し、工場で大量生産された安価なスーツが市場を席巻した。採寸から仕立てまで数週間かかるオーダーメイドは、非効率とみなされた。
明洞に増えたのは、チェーン店と観光客向けの免税店、化粧品店だった。煉瓦造りのビルは取り壊されて再開発され、ガラス張りのビルに建て替えられた。
店主が語った「煉瓦の繁華街」の記憶は、今や物理的な痕跡をほとんど残していない。残っているのは、美星NEOのような、わずかな店と、そこで働く人々の記憶だけだ。
作業をしながら、ビョンチョルさんはチラリとこちらを一瞥した。
「日本では、どうなんだい?」



















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