ただ、ココイチが直ちに大手食品メーカーの傘下に入らなければならないほどの切迫感は見えてこない。直近本決算である2015年5月期は売上高440億円に対し、本業の儲けを示す営業利益は約46億円と営業利益率は10%を超える。外食チェーンとして見ると収益力はかなり高いほうだ。自己資本比率は73%台、有利子負債もゼロと財務体質も極めて健全な超優良企業である。しばらく単独で運営する道を選んでいても、まったく不思議はない。
にもかかわらず、あえて悪く表現すると「ココイチがハウス食品に身売りした」という解釈もできるのが、今回の話である。これにはどのような背景があるのだろうか。謎を解くカギは創業者の宗次徳二さん本人と、その妻である直美さんが代表を務める有限会社ベストライフが併せて約22%の壱番屋株を保有する「創業家」にある。今回のTOBを経て、宗次家はその保有株をすべてハウス食品に売却することが決まっている。
ビジネスモデルをつくりあげた創業家
宗次徳二さんは2002年に経営の一線を退いてからは、名古屋・栄に私財を投じて「宗次ホール」を開設。クラシック音楽の普及などのボランティア活動を進めており、株の売却資金はボランティア活動の原資に充てるそうだ。もともと壱番屋にハウス食品が資本参加するきっかけとなったのも、同じ事情だという。
創業家が経営に重大な発言権を持つ大株主でなくなってしまう。つまり、ココイチのビジネスモデルをつくりあげた創業家がいっさい身を引く、というのが重大なポイントである。
ココイチはスタンダードな日本の定番カレーを提供し続けてきた。そして定番をベースに、量や味、辛さなどをお客一人ひとりの嗜好に合わせて提供する、いわばマスカスタマイゼーションの先駆者でもある。宗次家は、そんなココイチをどのようにつくりあげてきたのか、歴史的に重大な局面を迎えている今、ルーツをたどってみよう。
壱番屋は「ニコ、キビ、ハキ」をキャッチフレーズに店舗を運営してきた。いつもニコニコして、キビキビ動き、ハキハキ対応する。奇抜ではないものの、この「当たり前」の徹底にこそ壱番屋の強みがある。ココイチのファンを着実に増やしていった要因だ。
1号店が名古屋市郊外にオープンしたのは1978年1月。宗次徳二さんと直美さんの夫婦は当時、喫茶店を営んでいた。店舗に立つなり天職だと知った徳二さんは、そこからすべてを捧げていく。もともと出前サービスの客単価を上げるためにカレーを考案したのち、すべての市販カレーを試食し、自前カレーの提供を決意し、そこからカレー専門店のココイチ屋につながっていく。
家庭の定番メニューであるカレーを主力商品に据えたり、のちにチェーン化していったりすることは、ある種の発明であった。もちろん後付けの解説ではあるものの、定番カレーを提供し続けてきたことにココイチの成功があった。
立地が悪くても客数を伸ばすために日々考え続け、そして、土日もすべて働いてきた。直美さんも子どもを保育園に預けて、迎えにいって寝かしつけたのち、夜な夜な働く日々を送った。
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