「人は見た目が9割」「社会人は身なりが大事」を軽んじる人が知らない身だしなみの"本質"

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とはいえ、まだまだ「昭和」な人もいるでしょう。ファッション雑誌を読んだり、SNSを見たりして、みずからの趣味のよさを見せたい人もたくさんいます。あなたも、そんなひとりかもしれません。

だからこそ、あなたが服装によって何を見せたいのかが大切です。いつもネクタイを締めている=きちんとしているであるとか、スニーカー=いつでも動くつもりがあるといったように、何を重視するのか考えたいところです。

新人くん:「シゴデキって言われたいんすけど、これって、上司とか周りの好き嫌いじゃないすか? 仕事ができるとかできないとか、どうやってもわからなくね?」

先生:「基準はあいまいだよね。テストがあるわけでもない。営業だって、たくさん売るだけでは評価されない。まずは、その理由を考えてみようか」

昔は単純でした。特に、いまから60年ほど前の高度経済成長期には、たくさん売ればよかったからです。バブル期だって同じです。お金がどんどん回るなら、お金を稼ぐ人が偉い。営業成績を上げれば、褒められました。

しかし、もはやそんなシンプルな話ではありません。モーレツ社員がハラッサー扱いされる時代ですから、成績だけではなく、協調性や人格など、あらゆる面で評価されざるを得ません。

仕事が「できる・できない」の問題

社会学では、メリット=業績に基づいた評価の仕方を「メリトクラシー」(業績主義)と呼びます。

くらべられる用語は「アリストクラシー」です。これは、古代ギリシャ語の「アリスト」(いい)に由来し、その力=「クラシー」、すなわち貴族による支配体制を意味しています。昔、それも大昔は、家柄や生まれ=貴族かどうかが世の中での地位を分けました。

いまも、世界中には、出生に左右される地域があるものの、少なくとも日本では、建前の上では能力と努力によって出世できるとされています。

最も身近な事例は、受験です。ペーパーテストの成績が1点でも上回れば合格で、基準に達しなければ不合格です。生まれも育ちも、テストの場面だけを切り取れば、関係ありません。

こんな説明を聞いて、あなたはどう思われるでしょうか。

「メリトクラシー」概念については、社会学の世界で、かなり前から疑いの目が向けられてきました。イギリスの社会学者ミシェル・ヤングは、その名も『メリトクラシー』というタイトルで、SF小説風の文章を1958年に書き、知能を母体検査で測る舞台を2034年に設定しました。生まれる時に、すでにメリットによる選別が行われる世界です。

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