「上品な奥さまたちだからコーヒーをテーブルに置く所作ひとつとっても優雅だし、人さまへの礼儀も自然に身についているでしょ。お客さんに大好評でしたよ。忙しい時期に毎日交代で入ってくれて、本当にありがたかったです」
そのママ友たちも今は1人、また1人と旅立ってしまった。90歳にもなると、友人たちは次々と先立ってしまう。
ひらめきで始めた喫茶店だったがみごとに時代の波にのり、実家の親から借りた資金は2年で完済した。
開業から四十数年、昭和から平成、令和へと時代は変わった。安価なコーヒーチェーン店の進出、カフェブームなど世の中の流行が変化しても、栗原さんは「コーヒーと軽食と憩いの場」というスタイルを崩さない。
68歳のとき、最愛の長男をがんで亡くし、81歳のとき夫を看取った。つらい日々も栗原さんはいつも通りに店を開け、お客さんを迎え入れた。

乳がんで手術も「休まない」と決めたワケ
じわじわと続く不景気もコロナ禍の自粛もマイペースで乗り切った栗原さんだったが、80代最後の年にステージ2の乳がんが見つかった。
娘の真紀さんと一緒に告知を受けたとき、栗原さんは何とも思わなかったという。この年なんだから、体に何が起きてもしょうがない。手術の可能性を告げる医師にも、「ああ、そうですか」と答えた。

一方の真紀さんは母にとってベストの選択を求めて、医師探しに奔走する。まもなく90歳になる高齢者ががん治療となると、「体をゆっくり休ませる」ことを考える家族がほとんどだが、真紀さんは違った。
手術をするなら、店に復帰できることが大前提。だから、副作用がきつい化学療法もできるだけ避けたい。
なぜなら、働くことが大好きな母の性格からいって、休むことになればきっとどんどん弱ってしまうからだ。
栗原さんは胸のしこり以外、自覚症状はなかったので、いつも通り毎日店に出ていたという。常連客に「私、がんだってよ」と気軽に話して、「え、嘘でしょ?」と驚かれるのを楽しむ、明るいがん患者だった。

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