「当時の私は兄妹2人の子がいる専業主婦で、育児の真っ最中。主人が仕事ばっかりなのをいいことに、子どもたちを連れてあっちこっちに旅行して、さんざん遊ばせてもらっていた」という栗原さん。
しかし、娘が中学に入学して子育てが一段落し、40歳を過ぎるとむくむくと商売人の血が騒ぎだしてきた。
「商売に励む主人を横目で見ながら、私も何か商売をやって稼いでみたいと思い始めました。普通に考えたら主人の仕事を手伝っておかみさんをやればいいじゃないかってなるでしょうけど、そんな発想はまったくなかった。当時の鉄鋼業界は女性はいらない商売。私の出番なんてないんだから、楽しいわけがないもの」

800万円の借金をして開業
ちょうどその頃、自宅1階にあった夫の会社の倉庫が移転。空いたままになっていた。がらんとした倉庫を見渡して、栗原さんはふいに思い立つ。「喫茶店なら私でもできるんじゃない!」。
折しも世間は戦後のコーヒーの輸入自由化を受け、喫茶店ブームの真っただ中。総務省統計局の事業所統計調査報告書によると、1965年は全国で2万7026店舗だった喫茶店の数が1975年に9万2137店舗、1981年には15万4630店舗に激増していた。
喫茶店でゆっくりコーヒーを味わうという新しい文化が流行していたのだ。

その後の行動はすばやかった。夫に「全部私のお金でやるんだからいいでしょ」と告げて、夫が趣味の釣りで留守にした日に倉庫改築に着手する。
「工事を始めたら思ったより狭かったから、その場で大工さんに指示して倉庫の奥の応接間もぶち抜いちゃいました。帰宅した主人は応接間がなくなっていて、びっくりしていましたけどね」
開業費用の見積もりは800万円だったが、内装やテーブル、椅子などの家具や食器類に惜しまずお金をかけたので、最終的に1000万円に跳ね上がってしまった。

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