「早稲田は流石にどこかには受かるだろうと思っていました。ですが、最初に受けた教育学部の試験当日に、『これまでの勉強がすべて試される』と気持ちが昂ってしまい、一睡もできませんでした。緊張しすぎて、夜中に『寝れない!駄目だ!』と叫んで、父と母が僕の部屋に来てくれる始末。精神的にきていたのだと思います。
父・母は『大丈夫だから、寝れなくても頭は回るから!』と励ましてくれたのですが、結局試験は徹夜で臨んだためにボロボロでした。その後の政経と法学部の試験では実力不足を実感したのですが、商学部と社会科学部ではなんとか開き直って臨んだので実力通りにできた手応えがありました。ですが、商学部も社会科学部も最低合格点から1~2点足りませんでした」
学習院大学経済学部経営学科には合格したものの、残念ながら2度目の早稲田大学への挑戦も、すべて不合格に終わってしまいました。
「合格まで足りない数点の中に、自分が入ってしまったのかと思うと涙が出ました。学習院に行かずにもう1浪すれば早稲田に行けるんじゃないかと思っていましたが、父親に止められて、2浪で学習院に進むことにしました。早稲田じゃないとテレビ業界にいけないんじゃないかと思っていたので、それからは『どうせ・・・』が口癖になってしまいましたね」
テレビ局に入る目的をもって大学生活を送る
しかし、最終目標がある状態で大学に入った井上さんは、ボランティアサークルに入り、テレビ局に入るという目的を持って大学生活を送ることができたと語ります。
浪人して良かったことを聞くと、「自己分析能力がついた」、頑張れた理由について聞くと、「テレビ局に入るんだという目標を常に持っていたから」と答えてくれました。
「自分は勉強の『べ』の字もしたことがなかったので、論理的思考能力というものは皆無でした。だから、高校時代になんとなくサッカー選手になれると思ってしまったように、受験においても自分を分析できていなかったんです」
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