「僕は小さい頃から喋らない子どもでした。自分は頭が悪いから、喋るに値しないと思っていたんです。でも、成績が1位になって特待生になったことで自分に自信がつきました。『僕って喋ってもいいのかな?』と思うようになって、めちゃくちゃおしゃべりになりました。志望していた高校ではなかったのですが、たまたま1番になれたので、勉強に関して『自分はやればできるんだ』と思えたことが大きかったです」
高校2年生の時点では、将来はサッカーでご飯を食べたいと思っていた井上さん。当時は駒澤大学のサッカー部が強かったことで、頑張ればいけるかなと思い、駒澤大の文系を目指していました。

しかし、高校3年生のとき、自分にサッカーの才能がないと気づいたために進路を転換する必要性ができてしまいます。そこで彼の決断に大きな影響を与えたのは、父親の存在でした。
「あまりにも才能がなくて、将来サッカーで食べていくのは無理かも?と思った時に人生に絶望しました。それから、自分は人生をかけて何をやればいいんだろうと考えたとき、映像で物を伝える仕事がしたいと考えたんです」
ドキュメンタリーに興味を持つ
「実は中学のころ、ジャパンアクションクラブで役者をしていた父親が、脚本家に転身していたことが大きな要因でした。父は本をすごく読み、文章を書くのも好きな人だったのですが、フィクションの世界で仕事をする父親に対する小さな反発もあり、僕は『現実の方がドラマチックなんじゃないか』と感じていました。だから、テレビ業界に行って、自分がよく見ていたNHKのドキュメンタリー番組のような作品を作りたいと思いました」

反抗期はなかったものの、心のどこかであった父親への小さな反発。それからは井上さんは、マスコミ業界に行くなら早稲田がいいかなと思い、NHKを目指して勉強をし始めました。
しかし、学校の成績はよくても、模試の偏差値が30台だった井上さんは、成績を伸ばすのにとても苦労したそうです。
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