「この失敗で初めて現実を思い知りました。この年の偏差値では早稲田は受からないはずなのに、4つも受けてしまいました。学習院は相当手応えがあったので、わずかな差での不合格だったと思います。もし戦略的に試験を受けていたら、挑戦校である早稲田の受験を2つくらいにして、明治や学習院を2学部ずつ受けたり、立教を受けたりしていたと思うので悔やまれました」
取り残され…自分で予備校代を稼いだ2浪時代
1浪目は仲間もいて、楽しく勉強できていた井上さんでしたが、多くの仲間が早稲田やMARCHへの進学が決まったことによって取り残されてしまいます。父親にも「制作会社なら2浪もしなくていいんじゃないか」と説得されたそうですが、テレビ局に行きたいと意思を伝え、自分で予備校代を稼ぐという条件で2浪を許可してもらいます。
「3~4月はアルバイトに逃げていたと思います。精神面のつらさはこの頃がピークで、初めて1人というか、孤独というのを味わいました。気持ちの切り替えができなかったこともあり、5月くらいまでは勉強ができませんでした」
5月からは、1日13〜14時間の勉強を続けた井上さん。代々木ゼミナールは単科コースの受講に切り替え、予備校がない日は朝から晩まで図書館の自習室にこもって勉強を続けました。ケアレスミスが多く、集中できていなかった期間もあり、偏差値も50後半から伸び悩んだものの、最終的には一番いい模試の成績で、3科目偏差値63~64までは取れるようになりました。
「帰る時も英単語帳をずっと見ていたので、真っ黒になりました。100周以上は回したのではないかと思います。これだけやっているのだから、絶対にどこかは受かるだろうと思っていました」
2浪目の早稲田大学の受験は政治経済学部、法学部、商学部、教育学部、社会科学部の5学部に出願。前年度受験した明治大学が、最後に受験する早稲田の学部の合格発表まで入学金の納付を待ってくれなくなったこともあり、この年は他に学習院大学の経済学部経営学科のみに出願します。
前年度とは違い、偏差値的にはどこかに合格しても不思議ではなかった2浪目の早稲田受験。しかし、いよいよ受験が始まるに当たって、井上さんの精神は極限状態になっていきました。
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