《2浪で学習院→キー局ディレクター》"早稲田じゃないとテレビ業界いけない"のに全滅…遠回りもNHKで夢叶えた、受験に弱いけどひたむきな彼

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井上さんは東京都練馬区に、役者の父親と、専業主婦の母親のもと生まれ育ちました。

母親と井上さん
役者の父親と、専業主婦の母親のもと生まれ育った(写真:本人提供)

小さいころの井上さんは大人の顔色を伺う子どもで、常に笑って周囲の人を和ませていたそうです。

幼少期(写真:本人提供)
幼少期の井上さん(写真:本人提供)

公立小学校時代は運動ができ、友達とやるサッカーではいつも井上さんの取り合いになっていたそうですが、勉強は特にできるわけではなく、中の下から中の中くらいでした。

運動神経抜群だった(写真:本人提供)
運動神経は抜群だったが勉強は中の下~中の中くらいだった(写真:本人提供)

中学受験もしたものの、受験した日本大学第二中学校には不合格となり、公立中に進みます。

すると、ここで急に勉強の素質が開花したそうです。

勉強よりもサッカー

「それまでも算数は得意だったのですが、他よりもちょっとできるくらいだったので受験では通用しませんでした。でも、中学に入って数学になってから急によくなって、中3のときに受けた模試では100点を取ったので偏差値が75とか出ていました」

「数学と体育だけはいつも5段階評価で4〜5だった」と語る井上さん。しかし、主要5科目はほぼ5段階評価で2~3だったそうで、勉強よりもサッカーに打ち込む中学生活を送ります。

高校受験については、ギリギリまで何も考えず「サッカーが強いところに行きたいと思った」ため、都立でサッカーが強かった石神井高等学校を第一志望に設定。しかし、部活を引退してから勉強を頑張るも石神井高校には届かず、併願で受けた東洋高等学校に進みました。

サッカー漬けだった中高時代
サッカー漬けだった中高時代(写真:本人提供)

東洋高校に入ってからもずっとサッカーをやっていた井上さんでしたが、高校に入ってからは普通に勉強をしていたら学年で成績が1位になり、特待生になったと語ります。それが、中学時代では考えられないことだったようで、井上さんの性格が大きく変わるきっかけになりました。

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