中国王朝・隋の時代、嫉妬に狂った皇后が色恋だらけの後宮でまさかの「一夫一婦制」を実施 罪のない者の死、皇帝の"奇行"…招いた波乱の数々
楊堅が帝位につくと、独孤氏は皇后になった。独孤皇后は頭がよく、質素で、判断力も優れていた。正史『隋書』36巻によると、皇后はいつも文帝と政治について語り合い、意気投合したので、宮中では皇帝と皇后をあわせて「二聖」と称したほどだ。
独孤皇后は心が優しかった。裁判で死刑判決が出たと聞くたびに、同情して涙を流した。けれども、嫉妬心はすさまじかった。
後宮には、形式的には宮女がいたが、あえて皇帝の寵愛を受ける者はいなかった。
皇后の常軌を逸した行動を見た文帝は馬に乗り…
北周の政治家・尉遅迥(うっち けい)の孫娘は美人で、後宮にいた。文帝は、仁寿宮という避暑用の離宮を建てていたが、そこで彼女を見初め、寵愛する。皇后は嫉妬の鬼と化し、文帝が外廷で政治を執っているすきに尉遅迥の孫娘を暗殺してしまう。
文帝はぶち切れた。彼は中国史でも類のない、奇妙な行動に出た。
ひとりで馬に乗り、宮中から失踪したのである。追跡されぬよう、道を走らず、山谷のあいだを二十里あまりも馬で駆けた。高熲(こう けい)や楊素(よう そ)ら重臣がやっと追いつき、馬を叩いて諫めると、文帝は深く溜息をついて言った。
「われは天子という貴い身分になったのに、自由を得られぬ」
それを聞いた高熲は、苦言を呈した。
「陛下は、たかが一婦人のために、天下を軽んじられるのですか」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら