怒り、嫉妬、憎しみ…周りとの関係で生じるイヤな感情。スーと消える方法とは?――人生を好転させる大愚和尚の「離れる力」

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苦しみというのは、自分の内側でつくられるのです。

実際、誰かの言動によって痛みを覚えた場合、苦しむのは自分自身です。これは、人間特有の反応かもしれません。うちの飼い犬のモモに「モモはダメなヤツだなあ」といっても、モモはうれしそうにシッポを振っていますから。

また、痛みや苦しみというのは、牛が食べ物を反芻するように繰り返し味わっていると、やがて恨みに変わります。外部から放たれた矢によって瞬間的に発生した苦しみが、自分の妄想でさらに増幅されていく――。人間にはそういうところがあるのです。

イヤな感情から離れられないときは

■あっぱれ、原坦山和尚の「離れる力」

では、どうすればいいのか。そのヒントに、原坦山(はらたんざん)という和尚のエピソードを紹介しましょう。

坦山和尚は江戸後期から明治半ばの時代を生きた仏教学者であり、曹洞宗の僧侶。私の母校である駒澤大学(当時は旃檀林:せんだんりん)で教鞭をとり、のちに総監を任じられた人物です。

その坦山が仲間の奕堂(えきどう)と旅をしたときのこと。雨が降ってきて、川が増水してしまいました。橋がなく、じゃぶじゃぶ歩いて渡るのは難儀です。ふと周囲を見ると、彼らと同じように、川の流れを見て困っている女性がいました。

彼女が意を決して、川を歩いて渡ろうと足を踏み出した、まさにそのときです。坦山は彼女のもとに駆け寄り、こういいました。「ちょっとお待ちなさい。私がおぶってあげましょう」と。

おかげで女性は無事、向こう岸までたどり着きました。

お礼をいう女性を残して、さっさと先を行った坦山でしたが、これを見ていた奕堂は心中穏やかではありません。

「仏道を志す者が、若い女性をおんぶして川を渡るとはけしからん。修行をなんと心得る」という思いが頭から離れず、坦山に対する嫉妬まじりの怒りがいつまでもくすぶっていました。

やがて夜が来て、宿に落ち着いたころ、奕堂は悶々とする気持ちを抑えられず、ついに坦山に怒りをぶちまけました。

「さっきのはなんだ。修行中の身なのに、若い女性をおんぶするとは!」

すると坦山は、奕堂の剣幕に驚きながらも、すぐに大笑いしてこういいました。

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