怒り、嫉妬、憎しみ…周りとの関係で生じるイヤな感情。スーと消える方法とは?――人生を好転させる大愚和尚の「離れる力」

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

上司が自分自身の「ありよう」を変えた、そのことに尽きるでしょう。たとえば、

「真摯に、またほこりを持って仕事に向き合う」

「日々やる気満々」

「楽しそうに仕事をしている」

「部下を信頼して仕事を任せ、助けを求められたら全力で応える」

「失敗の責任は一身に引き受ける」

……そこに「上司のありよう」を見るのです。

そういう上司なら、部下は自然とその「ありよう」に感化されるでしょう。つまり極端な話、「ありよう」がしっかりしていれば、「やりよう」はどうだっていいのです。

上司と部下であれ、親子、兄弟、友人など、あらゆる人間関係に小手先のテクニックは不要です。

苦しみは自分の内側でつくられる

■あの人への怒りが「恨み」に変わる前に

誰かに不愉快なことを言われたり、されたりすると、怒りとか、悔しさ、つらさ、悲しみなどのマイナス感情がふつふつと湧き上がってくるものです。この思いから離れるのは、なかなか難しい。けれども、そのマイナス感情を何度もぶり返さないようにすることは可能です。

不愉快な出来事というのは、仏教では「第一の矢」と呼びます。

この「第一の矢」は、自分の外から放たれて、自分の胸にグサリと刺さります。当然「痛い」と感じます。

けれどもその後、たとえば電車に乗っているときとか、お酒を飲んでいるとき、夜眠るときなどに「ちくしょう、あいつ、覚えてろよ」などと、イヤな思いを新たにする。それによって生じる痛みは、外から飛んできた矢によるものでしょうか。

違います。自分で自分の心に放った矢によるものなのです。

このように、自分で自分の心にグサグサと突き立てる矢を「第二の矢」「第三の矢」「第四の矢」……と呼びます。それは、他人から放たれた「第一の矢」とはまったく異なるものです。

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事