人生は出たとこ勝負 経営評論家・金児昭氏①

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かねこ・あきら 1936年生まれ。61年、東京大学卒、信越化学工業入社。99年に常務で退任するまで38年間、経理・財務の実務一筋。公認会計士試験委員、金融監督庁(現金融庁)顧問を歴任。経済・金融・経営評論家、作家、信越化学工業顧問、日本CFO協会最高顧問など。

大学には2年浪人して3年目にビリでやっと入った。それで、自分には特別な能力なんてないと打ちのめされた。でも、それがよかった。若い頃に自分の能力がないことがわかったのだから。

信越化学工業に入社後、子会社を渡り歩いていた。本社の経理部に移ったのは30歳のとき。入社以来ずっと経理の人もいる中で、こちらは素人。それで王子駅前にある経理の専門学校に通い始めた。その後、中央大学・経理研究所の高等経理科というところに3年間通ったが、最初の2年間はまったくわからなかった。実はそこは公認会計士の受験のための本格的な講座だった。せっかくなので公認会計士試験を受けたが、3回受けて3回落っこちた。会社も忙しいし、難しくて受かりっこないのでスパっとあきらめた。

会計士試験に落ちてよかった

その頃、小田切新太郎常務(当時。後の社長、会長)に「会社員は仕事ができるよりも口が堅いほうが大事だ」と言われて、「仕事ができるようになるのは大変なことだが、口が堅いのは自分でもできる」と会計士試験に落ちたことは女房にも誰にも言わなかった。57歳まではね。

 48歳のとき、初めての著書『法人税実務マニュアル』を出した。本を出した理由は、税務調査官にやられっぱなしだったから。憲法という刀を持っている税務調査官に対してはペコペコしなきゃいけないが、負けないように理論武装する必要がある。

 当時、経理課長だったので部下の係長に頼んでおいて、税務調査官が来たら「ウチの課長は本を書いていますから読まれますか」と本を渡してもらった。税務調査官だって、本なんてだいたい書いていないのでプレッシャーにはなる。

57歳のときに会計士の試験委員の話が舞い込んできた。会計の本を何冊か書いていたからだと思っている。3年間試験委員をやったが、もし、試験に落ちた話を公言していたら話は来なかったかもしれない。口が堅いことは大事だね。

負け惜しみもあるけど、会計士試験に落ちてよかった。もし受かっていたら、公認会計士になっていた可能性がある。でも、公認会計士の仕事は性悪説。それでは人生つまんない、と今になって思う。会社員は性善説なので会社員のほうが面白い。だから、落っこちてよかった。

人生は出たとこ勝負。計画性なんてないほうがいいね。計画があると縛られちゃうから。特に今後は計画を立てること自体が難しい時代。そのときにできることを精いっぱいやることのほうが大事だよ。

週刊東洋経済編集部
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