「お金にこだわりすぎ」 田沼意次が財政再建を急がざるを得なかった江戸幕府の苦しいお金事情とは
8代将軍・徳川吉宗の享保の改革(1716〜1735)においては、厳しい倹約令と共に、年貢増徴策が推進されました。新田開発も奨励されました。
こうした政策により、天領は463万石、年貢量は180万石(1744年)にまで増加するのです。厳しい倹約令の甲斐もあって、幕府の財政も黒字となります。
しかし、成長には限界もありますし、年貢増徴策にも限界があります。年貢量も徐々に減っていくのです。
田沼時代が始まる前には、10万石も年貢量が減っていたと言われています。幕府財政をどうするかということが、意次に突きつけられた課題でもあったのです。もっと言うと、年貢以外からの財政収入をどのように増やすかが課題でした。そのための方策としては、新たな鉱山開発、輸入品の国産化、新産業の創出などがありました。
財政繰りに苦しんだ時代
幕府の財政状況の悪化について述べてきましたが、何もそれは幕府だけでなく、諸藩も同様でした。支出を減らし、収入を増やすにはどうすればよいか。幕府のみならず、各藩でも試行錯誤が重ねられていくのです。
(主要参考・引用文献一覧)
・藤田覚『田沼意次』(ミネルヴァ書房、2007)
・鈴木由紀子『開国前夜 田沼時代の輝き』(新潮社、2010)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら