「起業の夢絶たれ…」ブラック企業を転々し不本意派遣も。貧困の沼から這い上がれない大学院出身53歳男性のリアル

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悪質にもほどがある企業に、腰の重すぎる行政だが、タカシさんの口ぶりには憤りよりもあきらめの色がにじむ。「『またか』という感じ。今までも犯罪的な職場ばかりでしたから。就職氷河期世代の人たちにとっては珍しくない話だと思いますよ」。

いい会社=ブラックじゃない会社

地方都市で生まれ育ったタカシさんは大学在学中、就職か、起業かで迷いがあった。周囲を見回すとすでに就職活動は厳しく、「自分の大学のレベルでは、いい会社に行けるイメージがありませんでした」。

いい会社とは「ブラックじゃないところ」だという。

大学に通いながら起業を目指し、個人事業主として郵便局の配達の仕事を請け負い、300万円ほど資金を貯めたこともあったが、結局は中規模のゲームメーカーに就職する。しかし、パワハラ気質の上司や、会社の将来性などに疑問を抱き、短期間で退職。本格的に経営の勉強をするため大学院に進学した。

ただ、この間も景気はどんどん悪化。大学院で学びながらアルバイトに精を出したり、大学院の修了後は就職して働いたりもしたが、どこも給与水準が低いうえ、悪質な企業が多く、起業資金を貯めることができなかったという。

しばらくは転職を繰り返したものの、そのうちに仕事自体が見つからなくなる。30歳ごろからは、やむを得ず派遣労働者として働くように。いわゆる“不本意派遣”である。

「次こそはまともな会社でありますように、どうか求人通りの条件でありますようにと、願いながら入社しては裏切られるの繰り返し。これまで何百社に履歴書を送ったかわかりません。派遣先を含めると10回以上転職しました」

タカシさんが言う「犯罪的な職場」とは、どのようなところだったのか。

大学院時代からアルバイトをしていた大手の携帯電話販売会社は、異様な長時間労働のせいで、100人いた新卒社員が1年後には数人になってしまうような職場だった。

正社員になるよう誘われたが、断り続けていたというタカシさん。ある日、終業間際にノルマが達成できていないという理由で「今から街に出てキャッチ(キャッチセールス)してでも売ってこい!」と強いられたことを機に辞めた。

また、多くの派遣会社では、最初の2カ月は健康保険や厚生年金保険などの社会保険への加入を阻まれた。

当時は「雇用期間が2カ月以内の場合、社会保険は適用除外」という旨が法律で定められていた。このため、派遣会社の担当者から一方的に「最初の契約は2カ月で」と言い渡されるのだ。

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