②疑うことで判断力が磨かれる
疑り深い人間というのは、印象が悪いものです。ですが、仕事においても人間関係においても、何でも頭から信じて鵜呑みにしては、判断を誤ったりだまされたりする危険性が高くなります。
情報や人に接したときに、一度は「本当にそうなのか?」「どこかに嘘や偽りがないか?」と、まずは自分の中で問いかけてみることが大事です。
医師として仕事をしていると、この「疑い」が仕事の基本にあることを実感します。本当にこの診断で正しいのだろうかと疑うことで、別の病気の可能性を排除せず、慎重に患者と向き合うことができます。
そもそも疑問を持つところから、科学や技術の発達があります。
なぜそうなっているのか、どうしてこうなるのか。身の回りの現象に、つねに疑問を持ち続けたからこそ、その背後にある原因や法則を発見することができたわけです。それによって、現在の科学の発展があります。
フランスの哲学者のルネ・デカルトは真理を探究するために、あらゆる前提を疑ってみることにしました。目に映るすべてを疑い始めると、確かにそれらが本当に存在しているのか、それとも幻影なのか区別がつきません。
自分の肉体さえも幻影かも知れないと疑った彼は、最後にただ1つ、「疑っている自分自身、またその思惟自体は疑うことができない」ということに行きつきます。これが有名な「我思う、ゆえに我あり」という言葉の意味です。
少し話が大きくなりましたが、日常生活も仕事も、まずは疑問を持つことが大事だということです。それによって判断ミスも確実に減っていくでしょう。
他人事ではなく「自分事」にする
③ニュースは当事者になったつもりで見る
テレビや新聞、SNSで、毎日のように事件やニュースが報じられています。なかには悲惨な事件もあれば、興味をそそるゴシップやスキャンダルもあります。
しかし、それらの多くは、皆さんに直接関係のないことではないでしょうか。関係ないとわかっていながら、私たちは傍観者的に、あるいは興味本位で批判したり、文句を言うわけです。
ただし、いくら第三者の立場で事件やニュースを評論したり批判したりしたとしても、本当の意味での判断力はつかないと思います。傍観者としての無責任な言葉であり続けているからです。
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