元銀行員の僧侶が解説、ビジネスパーソンの悩みに寄り添う『歎異抄』。700年前の仏教書に散りばめられた「生きるヒント」

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『歎異抄』の第一条には、親鸞聖人の自らの信じる信仰の要点が凝縮されています。

修行して、自分の力で自分を救うことは難しい。
煩悩にとらわれた自分にはできそうもない。
自分の力で悟(さと)りを開き、浄土に行く道が難しいのであればどうしたらいいのか。
そういった宗教心をきちんともちあわせていない私たち普通の人間には、往生成仏の道はまったく開けないのだろうか。

こういったことが親鸞聖人の最大の悩みであったわけであります。

ここで親鸞聖人は、煩悩にとらわれている自分自身、自らの内面に巣食う悪、罪深い自分の有様を徹底的に見つめ、絶望し、悩みに悩んだ末に、コペルニクス的転回を起こしました。

「自力を捨てて、他力に帰す」

これは、かなり根源的な転換であります。

自分の努力で、修行をして、悟りを開くこと・往生成仏することをまったくあきらめたわけです。

つまり、阿弥陀様の誓願不思議の力がなければ私たちは往生成仏すること、つまり浄土に生まれて仏様になることはできないと考えたのです。
これが、「他力本願(たりきほんがん)」の教えになります。

「他力本願」という言葉を聞くと、読者の方の中には「人まかせにすること」「努力せずに楽をすること」といった意味を思い浮かべる人も多いかもしれません。

しかし、仏教での「他力本願」の本来の意味はまったく違います。

仏教における「他力本願」とは、「阿弥陀様の誓願(本願)によって救われる」という考え方です。

•「他力」 = 阿弥陀様の力(無限の慈悲と智慧)
•「本願」 = 阿弥陀様が「すべての人を救う」と誓った願い

つまり、自分の努力や行いで救われるのではなく、「自分の力だけではどうにもならない私たちを、阿弥陀様が必ず救ってくれる」という意味なのです。

ビジネスパーソンに響く「絶対他力」の考え

また、「絶対他力(ぜったいたりき)」という言葉も、浄土真宗の教えの中でつかわれます。

『歎異抄』には、「自力を捨て、他力にすがる」という考え方が繰り返し述べられています。

「絶対他力」とは、「自分の力でなんとかしようとするのではなく、阿弥陀様の救いを全面的に受け入れる」という境地です。

以下に私の解釈を述べてみます。

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