ある意味ではJAも被害者なのでは…岸博幸が指摘する、「令和のコメ騒動」を招いた《ノウスイ真理教》のレベルの低さ

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

これは、JAなどの集荷業者や卸会社というコメの流通秩序を介さない中抜きであり、政治の側が「ノウスイ真理教」の呪縛から脱して、農水官僚の知恵に頼らずに自ら新たなコメ政策の正解を模索したと評価することができる。

実際、小泉農相の英断と行動力により、少なくとも短期的にはコメ価格は大きく下がった。これは消費者にとっては大きな朗報だったが、問題は、このコメ価格を長期的にも適切な水準で安定させられるかである。

その観点からすれば、小泉農相の次の試練は、農水省が長年にわたって続けてきた間違ったコメ政策を大転換し、少なくともコメについて「ノウスイ真理教」を葬り去ることができるかである。

すでに述べたように、農水省は50年以上の長きにわたり、減反政策とコメの需給管理によってコメ価格を安定させてコメ農家の収入を維持しようとし、そのために多大な金額の補助金をつぎ込んできた。

しかし、たとえば欧州の農業政策を見ると、農作物の需給などに介入せず、その価格は基本的に市場での決定に任せる一方で、補助金を給付して農家の収入を維持している。

農業には、産業という側面(農作物の流通)と地域社会を支える文化(農家・農村の維持)という側面があるが、両者を別物として切り分けて政策対応しているのである。

農水省はこれまで、農業の産業や市場という側面をあまりに無視しすぎた。そのツケが今回のコメ価格の急騰である。コメ政策を欧州型に大転換し、コメの供給力を強化できるかが、これから問われるだろう。

それは、日本人の主食であるコメはできる限り国内で賄われるようにすべきという、経済安全保障の観点からも重要だ。政府が需給や価格を管理しすぎて競争力を喪失した産業では、国や市場を守れない。

JAは本当に悪者なのか

ところで、今回のコメ騒動に関して、農水省とともにJAも悪者扱いされることが多いが、僕は個人的に、それは違うのではないかと思っている。

過去に構造改革が政策の世界で流行ったころは、霞が関の省庁と業界団体と族議員という"鉄のトライアングル"が既得権益を守って改革が進まないと喧伝され、農業政策についてはJAが悪者扱いされることが多かったのだが、これも違うと思う。

次ページ実質的な権力を握る「霞が関の省庁」
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事