「脳」は複雑性と神秘と能力にあふれている ある人工知能研究者の脳損傷体験記

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調子のいい日と悪い日がある。それはエリオットが言うところの脳のバッテリーの状態によるらしい。正常人に比べると、そのバッテリーへの充電がうまくいかなくなっていて、脳を使いすぎると、バッテリーがカラになってどうしようもなくなるというのだ。そして、それは吐き気や筋肉痛という身体症状につながる。さらには、自分ではちゃんとやっているつもりなのに、酔っ払っているのかドラッグをやっているのかと疑われたりして、周囲に対する罪悪感がわいてくる。

8年悩んだ症状が消えた、エキスパートによる治療

医師を訪ね歩くが、症状を聞くだけで、まったく理解してもらえない。なにしろ、目に見えるような異常がなく、自覚症状だけなのだ。脳のどこが悪いのかわからない。エリオットは人工知能の研究者だけあって、その立場から自分の症状を詳細に考える。人間の脳をシミュレートするのに五千万台のデスクトップコンピューターが必要であるとする。脳震盪によってそのうちの何十万台かが破壊されたような状況になってしまっているのではないかと。そのたとえが本当に正しいのかどうかはわからないが、なんとなく納得できる説明だ。

症状の記載を読んだだけで、人間の脳というのが、いかに複雑なものかがよくわかる。なにげなく当たり前にやっていることにも高次な脳機能が必要なのだ。明瞭な損傷部位がわからな程度の損傷であるもかかわらず、実に多彩な高次神経能力の異常が生じるのである。おそらく、いろいろな脳機能というのは複雑にワイアリングされていて、特定の部位がいくつもの高次神経機能に関係しているということだ。ここまででも、脳がすごいということが十分にわかる。

しかし、驚くのはまだ早い。成人してからも脳には可塑性があることが知られている。その可塑性を活用することによって、これらの症状をなくすことができたのだ。8年もの間、悩まされ続けた奇妙で複雑な症状。もう治ることはないと思っていたエリオットだが、いまは正常な状態にもどっている。

それには二人のエキスパートによる治療があった。一人は『違った方法で世界を見、思考することができるよう脳を配線し直す』認知再構成法の専門家である。その方法をつかって、脳を使う時に、傷んだ部位を回避させて、正常な部位を使えるようにする。デスクトップコンピューターの例えでいくと、壊れたコンピューターへの回線を使わないようにして、傷んでいないコンピューターへの回線に組み替えるかのように。

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