「地震危険度は都内No.1」「強面の不動産屋が集金で"生存確認"」…スカイツリーのふもとにある「人情が厚すぎる街」が持つ"謎の魅力"

✎ 1〜 ✎ 15 ✎ 16 ✎ 17 ✎ 18
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

全国の商店街関係者が視察にくるキラキラ橘商店街

京成曳舟駅から歩いて約5分の場所にある「下町人情キラキラ橘商店街(京島3-49-1)」には現在80軒ほどの商店が並ぶ。商店街事務局長の大和和道さんに話を聞いた。

キラキラ橘商店街
キラキラ橘商店街(正式名称:向島橘銀座商店街協同組合)事務局長・大和和道さん(筆者撮影)

「商店街ってぇのはいろんなかたちがあるでしょ。駅からアーケードが続いてる商店街もあれば、インバウンドで賑わう浅草の商店街もある。

うちなんかは、駅から少し離れているし、外国人のお客さんもそんなに多くない。半径500〜700mくらいの地元の人たちを相手にしている地域密着型の商店街なんですよ」(大和さん)

マップ
キラキラ橘商店街に立てられたマップ(筆者撮影)

都内のどの地域にも言えるが、商店街が賑やかだったのは高度成長期から平成バブルまでだ。

かつて東京都内には、大小様々な工場や個人商店があった。そこで働く人たちは、地元の商店街で買い物をした。また当時は専業主婦も多く、昼間の買い物はやはり地元の商店街を利用した。

その後、地価の高い都内から工場が姿を消し、夫婦共働き家庭が増えると、商店街は活気を失っていった。

昭和の商店街
1975年頃の商店街の様子(写真提供:キラキラ橘商店街)
次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事