「地震危険度は都内No.1」「強面の不動産屋が集金で"生存確認"」…スカイツリーのふもとにある「人情が厚すぎる街」が持つ"謎の魅力"

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昭和の商店街
今よりも活気のあった商店街(写真提供:キラキラ橘商店街)
昭和の商店街
昭和2年の商店街。当時の名称は「橘銀座通り」(写真提供:キラキラ橘商店街)

「うちの商店街も、多いときは140軒近くのお店が営業していたけど、一時は62店舗まで減ってしまった。

商店街の機能を維持するためには、いつ来ても食品や日用品が一通り揃うっていう状態をつくり出さなきゃいけないでしょ。反対意見もあったけど、スーパーマーケットを誘致しました」(大和さん)

現在、京島のキラキラ橘商店街では「ヒルママーケットプレイス 墨田京島店(京島3-22-10)」と、「ビッグ・エー墨田京島店(京島3-20-15)」が営業している。

「最近では若いアーティストが長屋を拠点に活動したり、カフェがオープンしたりと、活気が戻ってきています。62店舗まで減った店も、今では81店舗まで回復した。

令和の時代に、うちのような地域密着型商店街の店舗が増えるって、あまりないことなんですよ。そんなことだから、全国の商店街関係者が視察に来たりしますね」(大和さん)

喫茶店アブロードから謎の不動産屋へ

商店街事務局を出て、近所をぶらついていると、古くからやっていると思しき喫茶店「アブロード(京島3-47-2)」を発見した。

店の前には車椅子が停めてある。不自由な体をおしてやってくる常連客の姿が目に浮かぶ。

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