親鸞が生きた時代はいわば日本のルネサンス--『親鸞 激動篇』を書いた五木寛之氏(作家)に聞く
昨年1年間44紙に連載された新聞小説が単行本化された。越後に流された親鸞の中高年期とその周辺の人々を描く。750回忌を迎えた「親鸞」が問うものとは。
──なぜ今、親鸞聖人なのですか。
12世紀から13世紀の世相、社会状況に興味があった。宗教と経済が一体化して、比叡山は近畿から西国、さらに東国に至るまで、宗教ばかりでなく経済をも支配する大きな力を持つようになる。当時の日本は各地に豪族や領主がいたが、荘園制度が混乱していくと同時に、寺社仏閣は巨大な領主でもあった。
純粋な宗教的な情熱を持った人間が、当時の最高学府の比叡山に行く。行ってはみたものの、山を降りる。法然、親鸞、日蓮、道元しかり。あこがれて比叡山に行くが、世俗を支配する大きな実力集団であり、実は政治経済の中心地であったと気がついて、人間の精神性世界を追究しようとすれば比叡山を中途退学するしかない。日本の10大宗教家を挙げると、6人までがこの時代に集中して出ている。これはいわば日本のルネサンス。そういう社会状況は実に面白い。
──なぜ、比叡山はそれほどの権威と経済力を獲得できたのですか。
比叡山は何千人という人々の修行する場ではあるが、当時の貴族や大豪族の二男、三男がバチカンにいるような宗教官僚として出世コースを歩む。宗教は政治、経済と並ぶほどの力を持っていたから、その中で名誉ある高い位に就くのは、中途半端な殿上人よりはるかに成果の上がることだった。