親鸞が生きた時代はいわば日本のルネサンス--『親鸞 激動篇』を書いた五木寛之氏(作家)に聞く
貴族や大豪族は子弟を比叡山に預ける。その中で高位の位階を受けるために膨大な寄進をする。造寺寄塔や写経納経ばかりではない。その額は中途半端でなく、南都北嶺は膨大な土地と経済的な収入を得る。14世紀にかけて、京都には土倉という金融業が発達したが、原資の出所は比叡山。近畿の金融界の元締めといっていいほどの巨大勢力になった。
その時代に巡り合わせた親鸞という一人の青年。そのバックグラウンドも想像力を刺激する。
──バックグラウンド?
12世紀、13世紀は政局の時代。何百年も続いた貴族王朝政治が斜陽化し、パワフルな武力を持った関東の鎌倉政権が誕生して、政権交代が行われた時期だ。それも、鎌倉幕府がきちんと成立するまでには時間がかかる転型期。そういう時期に天災がしばしば訪れる。干ばつ、凶作、飢餓そして地震、津波。記録では地震が繰り返し起こっている。それから大火、疫病の流行もある。そこに内乱、一揆が重なる。本当の乱世だった。「世も末だ」という末世意識が広く浸透していく。
──そういう時代を描くときに、よくあるのは代表的な貴族や偉人を主人公にするものです。
この本では、底辺の民衆の中に主人公を放り込んでいる。12~13世紀は自殺が流行した時代でもあった。今の時代と重なる部分が多い。今は政局の変動期であり、自民党から民主党に政権は移って、その民主党もどうなるかわからないという、政治的に不安定な状態。それに天災やパンデミック、経済によってもこれまでの体制がさまざまな形で揺らいでいる。当時も今も明日が見えない。