49歳で出版した本がベストセラーに!《アメリカで一番有名な料理家》に学ぶ「自分らしく生きる第2の人生」

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「この仕事こそ、私の天職だ」

ジュリアはそう手ごたえを感じたことでしょう。しかし、運命は彼女をまったく別の場所へと連れていきます。そのきっかけとなったのが、10歳年上のポールとの結婚です。

ボストンで料理上手の母に育てられたポールは、フランス語を流ちょうに話す国務省職員で、食べ物とワインをこよなく愛しました。ジュリアは赴任先でそんなポールと出会い、34歳のときに結婚。新婚生活を送るにあたって、料理の腕を磨こうと料理教室に通いはじめました。

ところが、夫のために初めて作った料理は失敗に終わってしまいます。ポールは笑い飛ばしてくれたものの、この日を境にジュリアは「料理上手になろう」と心に決めました。

このときの決意が、彼女のセカンドキャリアを形づくることになります。

37歳でフランス料理の専門学校に入学

「ポール・チャイルドがいなかったら、私がこのようなキャリアを持つことはありませんでした」

ジュリアがそう振り返るのは、食通の夫が料理作りに大いに役立ったからですが、それだけではありません。ポールの転勤によって、夫婦でフランスに渡ったことが、ジュリアの人生を大きく変えました。

パリに渡ったジュリアは、たちまちフランス料理に魅了されます。なんとかその調理法を学びたいと1949年、37歳のときに名門料理専門学校、ル・コルドン・ブルーに入学。本格的に料理を学びはじめました。

学校に通ううちにジュリアは、人生をかけて自分が突き進むべき道が見えてきたといいます。

「悩みとは無縁の気ままで楽しいそれまでの生活に、私はいつだって満足していた。ところが、コルドン・ブルーに通い、パリの市場やレストランを訪れたことで、料理というものが私にとって、豊かで奥深くて、限りなく魅惑的なテーマであることに思いがけず気づいてしまったのだ」

料理学校の最終試験を突破した頃には、漠然とではあるけれども、「プロとしてやっていきたい」とまで考えるようになったジュリア。シムカとルイゼットという、2人の仲間とともに料理教室を開くことになりました。ところが、活動は思わぬ方向に向かいます。

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