49歳で出版した本がベストセラーに!《アメリカで一番有名な料理家》に学ぶ「自分らしく生きる第2の人生」

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夫・ポールの仕事の都合で、ジュリアはフランスから離れてドイツに移住しますが、執筆への情熱は何ら変わりませんでした。

ホートン・ミフリン社から印税の前払いを受けたうえで、3人のうちジュリアとシムカが中心となり、週に40時間も執筆にあてたといいます。やがて仲間内では、この本のことを『アメリカの台所で作るフランス料理』と呼ぶようになりました。

そして1956年11月、夫がアメリカに呼び戻されると、ジュリアは夫婦でワシントンDCに移住。1年あまりが経った1958年2月、ジュリアが45歳のときに、できたところまでの原稿を編集者に読んでもらうことになったのです。

47歳で原稿が二度もボツにされる

といっても原稿は完成からはほど遠く、できていたのは鳥とスープの詳細な説明だけ。しかも、この時点で700ページにも及んでいました。

「はたして出版してもらえるのだろうか」と、不安に駆られたジュリアでしたが、嫌な予感は的中します。出版社に原稿を渡してから2~3週間後、こんな返事が届きました。

「弊社が出版契約を結んだのは、アメリカの主婦にフランス料理の作り方を伝授するための一冊であり、このような内容のものではないということを一刻も早くお伝えしなければなりません」

手紙では新たな方向性が打ち出されました。それは、食事全体をスープ、ソース、卵料理、メイン料理といったふうに分けたうえで、コンパクトなシリーズにするというものです。

ジュリアは葛藤の末、シムカにも相談して、この申し出を受け入れて「主婦やお抱えの運転手をターゲットに、コンパクトで手軽な内容に差し替えた原稿をあらためて準備します」と返事をしています。

これまで費やした時間を思えば難しい決断でしたが、企画の趣旨に変更はありません。料理の基本的なルールを強調しながら、レシピを短くまとめて、事前の準備と温め直しのコツを前面に出していくことにしました。

1959年9月1日、ジュリアが13回目の結婚記念日を迎えて、47歳になったときに『アメリカの台所で作るフランス料理』の改訂作業が、ついに終了します。

前菜からデザートまでを網羅した、アメリカ人向けのフランス料理の入門書です。ページ数はまだ750ページもありましたが、原稿を読んだ編集者からは、こんなふうに絶賛されました。

「あらゆる過程を分析してからレシピを再構築するという、あなた方の綿密さと熱意に私はすっかりのめり込み、今もまだ圧倒されています。こんなにも素晴らしく、驚くほど正確で包括的な入門書はかつてありませんでした」

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