49歳で出版した本がベストセラーに!《アメリカで一番有名な料理家》に学ぶ「自分らしく生きる第2の人生」
実はそのとき、ちょうど2人はフランス料理の本を出すために、共同で原稿を書いていました。しかし、アメリカ市場向けに手直しするはずのフリーの編集者が行方をくらましたというのです。
困った2人から「本の仕上げを手伝ってくれる気はないかしら」と打診されると、ジュリアは快諾。まずは2人が書いた600ページ近い原稿に目を通すことから始めました。1952年9月、ジュリアが40歳のときのことです。
しかし、この出版プロジェクトが大いに難航します。ジュリアの40代は、ほぼこの本にかかりきりになるのでした。
40歳で料理本の執筆に夢中になった
シムカとルイゼットが書いたレシピを、ジュリアは1つひとつ、実際に料理をしながら確認していきます。材料を入れる順番や、材料の品種、圧力鍋の加熱時間など、あらゆる角度から検討。原稿の余白に、疑問点や修正点を次々と書き込んでいきました。
気づけばジュリアは「料理本の執筆」という新たな試みに、すっかり虜になってしまっていました。
「気がつけば毎日、ほとんど休憩もとらずに、朝から晩まで原稿を書いていた。家の中が荒れ放題だということにも気がつかなかった」
ところが、刊行を予定した出版社の社長から手紙が来て、原稿の完成が見えないことから「取り組み自体なかったことにしたい」と言われてしまいます。
出版は立ち消えになってしまうのか……そう失望しかけたときに、ジュリアが何気なくとった行動が意外な展開につながっていきます。
ジュリアは、ステンレス製の食器への不満が書かれている雑誌のコラムを読んで、その内容にいたく共感します。思わず筆者に宛ててファンレターとともに、非ステンレス製の食器を送りました。
すると、著者の夫人エイヴィスから長文の礼状が届き、2人のやりとりがスタート。ジュリアがエイヴィスに、本の原稿について相談したところ、思わぬ返事が返ってきました。
「この原稿は傑作になる可能性を秘めています。夫の本を出しているホートン・ミフリン社に見せてもよいですか?」
その結果、原稿はホートン・ミフリン社で前向きに検討してくれることになりました。
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