宿場町として発展し、茶屋も集積するなど栄えていたが、さらに発展するきっかけとなったのが東急の玉川線である。

駅から歩いてものの数分の位置に河川敷が広がる(筆者撮影)

牧歌的な景色である(筆者撮影)
玉川線は多摩川の砂利を都心へ輸送するとともに旅客運送も行い、次第に住宅地の開発も進んでいった。もとは玉川電気鉄道が運営していたが、同社は東京横浜電鉄と合併し、その後に東京急行電鉄(東急電鉄)へと社名を変更している。
西の高島屋、東のライズ
1969年には、玉川高島屋S・Cがオープン。高島屋傘下の東神開発によると、同施設は大型駐車場を完備した「日本初の本格的郊外型SC」。オープン以来50年以上にわたり、二子玉川のランドマーク的施設として君臨している。

西口に君臨する玉川高島屋S・C(筆者撮影)
高島屋が鎮座する西口に対して、若干の寂しさが漂っていたのが東口である。しかし、2011年に街開きをした「二子玉川ライズ」によって、勢力図は一変した。

東口の賑わいを生み出している二子玉川ライズ(筆者撮影)

家族連れを中心に多くの人が訪れている(筆者撮影)
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