浜田雅功の「圧」と松本人志の「奇襲」≪ダウンタウンDX≫が築いた異質空間が終焉することの意味
当時は舞台と観客席との間に大きな幕が張られていて、収録が始まるまで観覧客は舞台の様子を見られないようになっていた。そして、幕が開くとカメラが回り、すぐに収録が始まる。舞台上にはダウンタウンの2人とゲストのタレントたちが並んでいて、テレビで見ていたような流れでスムーズにトークが進められた。
私自身は観客としてほかの番組の観覧をしたり、スタッフとして番組収録に立ち会った経験が何度もあるのだが、ほかの収録現場では、時としてやや間延びしたような空気になることもある。とりあえず長めにカメラを回しておいて、あとから編集して面白いところだけを使えばいい、と考えられているからだ。
しかし、「ダウンタウンDX」の収録では、そのような気の抜ける瞬間がまったくなかった。浜田は無駄なくどんどん番組を進めていき、松本もキレのある一言で笑いを起こす。スタッフもキビキビと規律正しく動いていた。生で収録現場を見ているのに、編集された後の完成品を見ているようだった。

緩みそうなときは浜田が瞬時に締める
「ダウンタウンの番組には独特の緊張感がある」というのは番組に携わるスタッフや出演者が一様に口にするところだが、それが最もわかりやすい形で見られるのが「ダウンタウンDX」の現場だった。
さらに特筆すべきは、松本と浜田、それぞれの役割である。浜田は単なる進行役にとどまらず、収録現場の空気そのものをコントロールしていた。ゆるみそうになれば瞬時に締めるし、ゲストの発言が空回りしているようなときには、すかさず軌道修正を加えたり、あえて厳しいツッコミをいれたりした。
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