浜田雅功の「圧」と松本人志の「奇襲」≪ダウンタウンDX≫が築いた異質空間が終焉することの意味

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一方、松本は「一言で場をひっくり返す装置」として機能していた。ゲストの発言を受けて、それを絶妙な角度にずらしてオチをつけて爆発的な笑いを生んでいった。ゲストとのトークを型通りの内容にとどめずに、予定調和を崩して笑いの波を起こすのが彼の役目だった。唯一無二の名人芸を持つ2人がコンビネーションを発揮することで、極上のライブ空間が成立していた。

松本が番組に出なくなってからは浜田が1人で司会を務めていたが、やはりこの時期は番組としてのパワーが落ちている印象は否めなかった。思いも寄らない角度から繰り出される松本のボケはダウンタウンというコンビの魅力であり、この番組の売りだった。そこが失われた状態で番組を続けるのは難しかったのだろう。

この番組では「スターのぞき見ランキング」「スターの私服」といったコーナーがあり、ゲストの芸能人をあえて「スター」と呼んで持ち上げるような扱いをすることが多かった。

芸能人と視聴者をつなぎ続けた最後の砦

かつては芸能界は多くの人が憧れる夢の舞台であり、それぞれのタレントがスターの風格を備えていた。スターが集まってトークをする場所を浜田と松本がまとめ上げるという基本的な構図があった。

「ダウンタウンDX」の歴史的意義を総括するならば、「テレビという大舞台の中で、芸能人と視聴者をつなぎ続けた最後の砦」であったと言える。テレビがメディアの覇者だった時代から、ウェブの世界が盛り上がっている現代まで、32年間番組が続いたこと自体が奇跡だった。

テレビ界にも芸能界にもかつての勢いはなく、権威もない。芸能人そのものをエンターテインメントの素材として見せていた「ダウンタウンDX」が終わるというのは、1つの時代の終焉を象徴しているのかもしれない。

ラリー遠田 作家・ライター、お笑い評論家

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らりーとおだ / Larry Tooda

主にお笑いに関する評論、執筆、インタビュー取材、コメント提供、講演、イベント企画・出演などを手がける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)など著書多数。

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