「いくら蹴っても壊れない」「俺の気持ちに火をつけてくれた」…髙田と天龍が共鳴した"トップの覚悟"
髙田 そこまで思ってくれてたというのはうれしいですね。
天龍 そこは1度闘った者として、「あのままの髙田延彦でいてほしい」という願望があったんだよ。
「それはやるなよ、髙田」という批判
──90年代前半から半ばの時期、お二人の立場は似ていました。それぞれWAR、Uインターという団体を一枚看板で率いて、金銭的にもトップとしてリスクを背負って。そこに共鳴する部分もあったんじゃないですか?
天龍 ただ、俺はプロレスのなかでなんでもやれたからよかったけど、髙田選手はプロレスとはまた違う、UWFのなかで固定ファンをつかんできたから、新日本とやるにしろ、他の団体とやるにしろ、「それはやるなよ、髙田」という批判のもと、それでも会社を存続させるためにやらなきゃいけないという。
たぶん、ものすごい葛藤があったと思いますよ。
髙田 自分たちで活動範囲を狭めていた部分があったんですよね。そのなかで何をやるか、もう会場は押さえてあるから、そこに何をぶっ込んでいくかってことで、そこはもう周りの声は気にしないで遮二無二やってましたね。1度コケちゃうと次の券売に一気に響くから。
──毎回が勝負というか。WARもUインターも背伸びしてましたよね。
髙田 つま先立ちだよ(笑)。でも、背伸びしたから、頑張れたのかもしれないしね。
──天龍さんも無理してでも、WWEのレスラーを呼んだりしていました。
天龍 結局、WARについてきてくれた数少ないファンに噓はつきたくないという、トップの性格ですよ。でも、Uインターは他とは違うということを色濃く出した団体だったから、よりプレッシャーは大きかったと思いますよ。
──神宮球場という大きい会場を押さえて、天龍さんとやったというのは、その最たるものですね。
髙田 僕はまさか天龍さんとシングルでやる機会があるとは思ってなかった。一世代上のスーパースターですから。
その天龍さんと大舞台でできて、年間最高試合賞までいただけて、「プロレスラーになってよかった」と思いましたよ。