蔦屋重三郎が手がけた《往来物》 テキストにした寺子屋はどんな場所だったのか

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大河ドラマ べらぼう 蔦屋重三郎 寺子屋
寺子屋(写真:shiii / PIXTA)
NHK大河ドラマ「べらぼう」では、江戸のメディア王・蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)を中心にして江戸時代中期に活躍した人物や、蔦重が手がけた出版物にスポットライトがあたっている。寺子屋のテキスト本「往来物」もその一つだ。連載「江戸のプロデューサー蔦屋重三郎と町人文化の担い手たち」の第16回は、蔦重が出版した「往来物」や、それをテキストとして使った寺子屋について解説する。

地道に売れる「往来物」も押さえていた

安永6(1777)年、蔦屋重三郎は、本格的に版元としての活動をスタートさせた。

それまでは、吉原大門口近くの茶屋の軒先を借りて「耕書堂」を経営していたが、近くに独立した店舗を構えることになったのである。重三郎が遊女評判記『一目千本』(ひとめせんぼん)で初めて独自に編集し出版までを行ってから、約3年の月日が経った頃のことだ。

安永9(1780)年になると、一気に15種もの書物を刊行している。独立して出版事業への意欲はさらに燃え上がったのだろう。うち3冊がヒットメーカー朋誠堂喜三二の作品だ。独立してまだ3年ばかりの版元としては、異例の注目を浴びていたに違いない。

蔦重がスタートダッシュをかけることができたのは、ヒット本をしかける一方で、地道に売れる刊行物も押さえていたからにほかならない。吉原のガイド本『吉原細見』がその一つだ。そして、もう一つ『往来物』(おうらいもの)を手がけたことも、耕書堂の経営を安定させたようだ。

「往来物」とは、寺子屋や家庭で用いられた学習書のこと。寺子屋は江戸時代における庶民の教育施設として広く知られているが、どんな教育が行われていたのだろうか。

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