女性醸造家の渾身のワインに世界が驚嘆した 日本固有の甲州種で目指すワインの革新<上>

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扱いが難しいとされる甲州種ブドウ

1923年創業の中央葡萄酒グレイスワインは、彩奈の祖父の時代から、この扱いが難しい甲州種ブドウを使った醸造にこだわってきた。輸入ワインに押され、甲州ワインが全く売れない時期にも、1874年から始まった甲州ワインの伝統を守ろうと、地元産の甲州種で醸造を続けてきた。その間にさまざまな技術革新が起こり、糖度や酸味、香りをコントロールすることができるようになって、同社の甲州種を用いたワインの評価も以前よりは格段に高まっている。

マレーシアで祖父と父親の努力がようやく実を結びつつあることを実感した彼女は、自らも醸造の道に進み、代々続く奮闘の歴史に名を連ねることを決意。大学を卒業し、実家のワイナリーで1年間修業を積んだ後、ボルドー大学の醸造学部に1年半、留学する。さらに、栽培と醸造を学ぶブルゴーニュの専門学校に移り、通常なら取得に2年かかるフランス栽培醸造上級技術者の資格試験に、わずか1年で合格した。

計3年に及ぶフランスでの日々は「毎日が目から鱗だった」と振り返る。

「最初の醸造の授業で、先生が『収穫のタイミングは、ブドウを食べて判断します。醸造家の仕事はまずそこから始まる』といいました。日本では当時、ほとんどのワイナリーが農協からブドウを買っている時代で、農家さんの都合に合わせなきゃいけないので、食べて収穫期を決めるなんて、ほぼ不可能なんです。そこで初めて、醸造家って届いたブドウを仕込むだけが仕事じゃないんだと気づきました。ほかにも、日本では特別に手をかけていると思っていたことがフランスでは当たり前だったり、毎日のように日本のワイン造りがいかに遅れているかを実感して、その度にガーンとショックを受けていました」

フランスでは勉強漬け

フランス、南アフリカに渡り、ワイン造りについて学んできた

フランスでは勉強漬けで、楽しく遊んですごした記憶はないという。それでも知識が増え、日本で曖昧だったことが次々と明らかになることがうれしく、毎日が充実していた。

「もっと勉強したい」という想いが募り、向かった先は南アフリカ。日本に帰省中、山梨県が招聘していた南アフリカ人のブドウ生理学の専門家と知り合い、「1カ月間、大学院で集中的に学ぶコースがあるから参加しないか?」と誘われ、即決。南アフリカのステレンボッシュ大学院で1カ月を過ごした。

ここでもまた、新たな気づきを得る。

「フランスでは西日が暑いからと、西側の葉だけを残して、東側の葉を取ってしまうことがありました。それは伝統的な手法で、誰も疑いません。でも先生が実際に調べてみたら、東側のブドウの温度の方が高かったと言っていました。南アフリカはワインの業界では新世界と言われる後発国なので、伝統にとらわれず、また天候や気候任せにしないで、科学的なアプローチで革新を起こそうとしていました」

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