《エヌビディア躍進の“原点”はセガにあった?》ゲーム産業を革新した3次元CG技術の知られざる歴史

世の中に急速に浸透するAI(人工知能)を支える半導体メーカー・エヌビディアの近年の躍進たるや凄まじいものがある。
しかし、同社が注目を集め始めたのは、25年前、1998年に販売開始されたGPU(グラフィック・プロセッシング・ユニット)、「GeForce(ジーフォース)」にまでさかのぼる。
「GeForce(ジーフォース)」は高速かつ精細な3次元コンピュータ・グラフィックス(以下3DCG)の生成と表現を実現した。その結果、エヌビディアはゲーム産業を中心に市場を大きく拡大し、現在は半導体市場を、メタバース、自動運転技術、大規模言語モデルなどのディープラーニング需要まで拡大するに至った。
そこには1990年代前半からのセガ(当時は株式会社セガ・エンタープライゼス)との協業により、その設計思想、技術力の研鑽があったのだ。本稿では、当時のセガ関係者の証言に基づき、エヌビディアの知られざる“過去”を紹介する。
ゲームセンターの変容とその背景
1985年から1990年にかけて、ゲーム筐体を大きく上下、前後左右に動かし、回転をさせていたセガの業務用「体感ゲーム」市場が失速していったのは、1990年代前半からの「ストリートファイターⅡ」(1991年導入:カプコン)、「バーチャファイター」(1993年導入:セガ)などの格闘ゲームブームによるものだった。なかでも「バーチャファイター」は最先端の3DCGを駆使した新世代の格闘ゲームとして多くのプレイヤーを引き付けた。
「バーチャファイター」に代表される3DCGゲームの台頭はそれまでゲームセンターの店頭を飾っていた大型体感ゲームを衰退させ、セガが販売したセガサターン(1994年11月22日発売)、ソニー・コンピュータエンタテインメント(現在の株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント)が販売したプレイステーション(1994年12月3日発売)などの次世代機と呼ばれた家庭用3DCGゲームハード機器の導入と普及がそれらを加速させた。
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