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《エヌビディア躍進の“原点”はセガにあった?》ゲーム産業を革新した3次元CG技術の知られざる歴史

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  • 黒川 文雄 ジェミニエンタテインメント代表取締役/ゲーム考古学者
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セガのゲームの進化の歴史は、エヌビディアの進化の歴史とシンクロしている。1993年のエヌビディア創業時の状況を、長年セガのハードウェア研究開発のトップとして陣頭指揮を執った佐藤秀樹が振り返る。

佐藤秀樹:1971年、セガ・エンタープライゼス(セガ)に入社。2001年3月代表取締役社長就任。現在は株式会社アドバンスクリエート代表取締役社長(筆者撮影)

「1980年代中期から後半にかけては、基本的なスプライト技術を使っていましたが、それではエンタメ的な要素が足りないということで、カスタムIC(ロム)を足し、拡張しながら何機種かのゲームを開発していきました。その先は、やはり3DCGだよね、ということで、鈴木裕君が開発したのが『バーチャレーシング』です。

「バーチャレーシング」©SEGA

あのころのセガのアーケード・ゲーム開発は富士通とガッチリ組んでやっていて、家庭用はNECと組んで開発をしていました。音源関係の開発はヤマハさんと一緒にやっていました。それと日立とはマイコン絡みで一緒にやっていたという関係です。それから徐々に座組みが変わっていって、最終的に『ドリームキャスト』にはすべてのメーカーのチップが入っている状態でした」

セガ・オリジナルチップの開発と頓挫の背景

「日立からの紹介もあって、エヌビディアの社員が20~30人くらいだったころに、NV3というCPUをセガと共同開発したことがあったんです。

NV3のアーキテクチャというのは非常に面白くて、3DCGというのは一般的には三角形、または四角形で作成するのですが、ジェンスンが持ってきたアーキテクチャは最初から丸で作るというものでした。そうすると、レーシングゲームのタイヤなんかを作るのが非常に楽なので、この技術で次の家庭用ゲーム機を作ろうとしたんです。ところが、セガと日立とエヌビディアで一緒にそれを開発したのですが、一向に出来あがってこなかったんです。今となっては、どっちが悪かったのか分かりませんが……。

対応を迫られたジェンスンは非常にスマートで、セガが作っているゲームに必要な要素は何なのかということを調べて、丸いアーキテクチャを作れますというものから、従来型のオーソドックスな三角形(ポリゴン)に変更して、そのポリゴンの能力をいかに上げるかということに方向転換したんです。

NV3を積んだグラフィックス・カードは、それなりに売れたんですけど、メジャーになり切らなかった。それでジェンスンは舵を切って、トラディショナルな三角形ベースのポリゴン生成で、量が出ますとか、処理が速いとか、そちらの方にガッと絞り込んで、要はゲームで使えるレベルまで持っていってしまったんです。

『セガ 体感ゲームの時代 1985-1990』(東京ニュース通信社)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

昔は産業用のコンピュータ・グラフィックスというのがあったけど、ゲームに使えるまでの能力だったり、価格が合わなくて具現化できてなかったんですが、ジェンスン率いるエヌビディアは、その能力も、コストパフォーマンスも高くするということを実現したんです。

セガが独自にチップ開発をしても、そこに割ける人員はせいぜい10~20人ですが、エヌビディアは全世界規模で数百人が関わってチップ開発を行っているわけですから勝てるはずがない。スケールが違うし、開発速度が違うから、セガ独自のチップ開発でエヌビディアに対抗しようというのが無理でしたね」

その後、ゲーム開発自体の在り方が大きく変わっていくことになる。それ以前は、ゲームを動かすために専用ハードでゲームを開発していたが、PCの性能が向上したことで、PCでゲーム開発が可能となったことも大きな要因だという。

3DCGという新世代のツールを得て順調と思われたセガのゲームセンター向けゲーム開発、家庭用ゲーム開発、永遠に続くかと思われたセガのゲーム・コンテンツは予想外の方向へ展開する。そしてエヌビディアとの関係性も異なるものとなる……。

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