今後の養育費も込みで退職金をすべて渡して離婚したという孝太郎さん。年金生活をしていた母親の家に転がり込み、何もせずに過ごす日々が続いた。しかし、内心では子どもたちへの罪悪感が募り、あるとき車の中で練炭自殺を図った。
「気を失ったのですが、無意識のうちにドアを開けていたようです。死に切れませんでした」
そんな孝太郎さんに手を差し伸べたのが地元の知り合いだった。自動車部品工場を新設するので立ち上げを手伝ってくれないか、と声をかけてくれたのだ。その工場は孝太郎さんの前の勤務先の下請けをしているため、現場経験の長い孝太郎さんはうってつけの工場長候補だった。
「3カ月ぐらいならば面倒をみます、と返事をして入社したのが今から8年前です。結局、今でも働き続けられています。病んでいたときに免許の更新もしなかったので自転車通勤ですけどね(笑)」
キャンプ場の喫煙所で現在の妻と出会う
収入は以前の半分程度にまで下がった。しかし、地元好きな孝太郎さんには現在の働き方が向いていた。人から頼られることも嫌いではないのだろう。心身が少し回復し、地元で大いに飲み歩くようになったときにコロナ禍が起きる。飲食店に行けなくなったことが真美さんとのキャンプ場での出会いにつながった。
「私は以前、クラブ3店舗を統括する雇われママでした。辞めてからは接客はしたくなくて名古屋のパン屋で生地を練る仕事をしていたのですが、クラブで仲良くしていた女の子たちが『たまには会おうよ』とグランピングに誘ってくれたんです」
水商売時代は3人の子どもを育て上げるために猛烈に働いていた真美さん。売り上げを上げるために毎日浴びるように飲んで隠れて吐いていたと振り返る。
「ひどい二日酔いでもお弁当を毎朝作っていました。子育てに手抜きはしたくなかったからです。当時の私には男性はお札にしか見えなかったし、子どもが3人もいるので再婚は考えていませんでした」
真美さんは子どもたちが巣立った後も誰かの世話をしたくてたまらず、一人暮らしをしながら大学に通っている息子に毎日のように「ちゃんと食べてる?」と連絡していた。子離れできていなかったと自覚している。そんな2021年の夏、キャンプ場の喫煙所で知り合ったのが孝太郎さんだった。
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