こうした「制裁」は人類学的にみても、「必要なもの」でした。裁判制度や警察制度も発達していない時代には、「悪人」は村や地域で独自に裁く必要があったからです。
まさに「村八分」は、人間の進化のうえで、彼らの「正義」と「秩序」を守るための社会制度だったわけです。
しかし、法治国家において、法的権限のない一個人が暴言を吐き、相手の尊厳を傷つけるといった「私的制裁」が許容されるわけではありません。
私自身、少しいらだった調子で、2人に声をかけてしまったことについて、その後、「もう少し、優しいトーンで言えばよかったのではないか」と反省してしまいました。
なぜなら、彼らは「わざとマナー違反をしたのではなく、日本でのマナーを知らなかっただけ」なのですから。
マナーが悪い人もいれば、丁寧な人もいる
まったく異なる文化、考え方、環境の人たちが、日本の文化や慣習を完全にマスターし、同じようにふるまうということはそもそも難しいという前提があります。
実際に、マナーが悪い人もいれば、いつも丁寧に礼を言い、頭を下げる人もいるわけで、インバウンドとはいえ、さまざま。「インバウンドが」と主語を大きくして語ることも危険です。
悪質なマナー違反については、警察や市町村、店などが断固として対応するべきですが、ちょっとした不注意やマナー違反について、個人が、わざわざ相手を傷つけるように怒鳴りつける必要はないでしょう。
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