「慶應→上場企業→落語家へ転身」した"ヘンな人"が、「天才落語家」に1万回怒られて学んだこと 「立川談志」の弟子になるとはこういうことだ

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

サラリーマン経験のある人からすれば、そんな“対処法”が著者のなかに根づいていたことも理解できるが、師匠からすればそれは正しくなかったのだ。

談志の生理では「大半の謝罪は、すみませんでいい。人生を揺るがすような大しくじりの際にのみ、申し訳ございませんと言え」ということだったのです。(26ページより)

落語界特有の「しくじり」というメンタリティ

著者はこのとき、「感情の主導権は、師匠およびその現場の年長者にある」ということを悟ったのだという。こうした感情の主導権を、落語会では「しくじり」と呼ぶということも。「しくじり」という感覚は、落語家の世界特有のメンタリティだというのである。

談志は、入門の際に「いいか、俺をとにかく快適にさせればいいんだ」と言いました。自分の選んだ師匠をはじめ、キャリア的に上の先輩をも含んだ目上の人たちを「機嫌良くさせる」ことが、前座といういちばん下の身分の人間に求められることなのです。(28ページより)

たとえば落語会なら、前座はまず出演者が「機嫌よく」動けるようにテキパキとした言動をする。手際よく出演者に着物を着せたり、畳んだりする。出囃子を出したり、それに合わせて太鼓を叩いたり、落語家が高座に上がるたびに座布団を裏返したり、お茶を出したりと役割は多いのだ。

お茶を出すタイミングや、打ち上げの仕切りなども含め、とにかく働くのが前提。それらの動きはすべて、「出演者を機嫌よくさせる」ことが前提になっているわけである。

そしてそんな先輩である出演者の機嫌を損ねる現象を「しくじり」と呼ぶのであります。
「快・不快」や「機嫌」の主導権は師匠をはじめそれぞれの現場での先輩である兄弟子などが握っているのですから、「〇〇師匠をしくじった」というのは、しくじらせた側である前座や目下の人間がすべての責任を負う……というのが落語会のシステムなのです。
こういう作法が積み重なって、長年にわたって構築された世界こそが落語会だったのです。
(29ページより)

つまり談志だけが厳しいわけではなく、末端の新弟子たちの精神的負担によって落語会全体が成立しているとも解釈できるのだ。

そして、そういった背景をさらに「俺の流儀」とばかりに特化して談志ひとりに傾注させるべく、弟子たちを純粋に培養するシステムこそが立川流だったということのようである。

たとえば〇〇師匠が、不合理で理不尽な感じで別の一門の下の子たちを怒鳴ったとしよう(あくまで仮定であり、普通はそんなことはないという)。そんな場面でも、下の子たちはひたすら〇〇師匠の機嫌がなおるまで謝り続けるしかないというのだ。

ここでサラリーマン社会でありがちな「お言葉を返すようですが」などと反論などしようものなら、「どういう教育をしているんだ」と、怒りの矛先がそちらの一門の師匠に向かうことになるのです。(30ページより)

そのため下の子たちは、自分の不手際が師匠に波及しないように、とにかく我慢して謝罪するしかない。だからこそ談志は入門時に、「修行とは不合理や矛盾に耐えるのが仕事だ」とまで定義していたのではないか。著者はそう振り返っている。

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事