「慶應→上場企業→落語家へ転身」した"ヘンな人"が、「天才落語家」に1万回怒られて学んだこと 「立川談志」の弟子になるとはこういうことだ

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重要なポイントは、不器用にも見えるこうしたプロセスの背後に著者の“立川談志愛”があること。

いまの時代では考えられないような毒舌を繰り返し(それはすなわち、既成概念の打破である)、その結果、現代風にいえば「炎上系」のような立ち位置を確立。国会議員に当選してからも物議を醸し、それでいて本業の落語の世界でも実績を残した(たとえば、「立川流」という独自の流派を単独でつくり上げたこともそのひとつだ)。

要するに、いろいろやらかしているように見えて(やらかしてはいたのだろうが)、やるべきこともきちんと、いや、それ以上に成し遂げてきたのだ。それこそが、いまなお熱狂的なファンに支えられている理由であり、著者もまたそうしたファンのひとりなのである。

ちなみに著者は“類い稀なる「鈍才」”だったそうで、師匠たる談志の機微がわからず、調子に乗って大失敗し、失敗をリカバリーしようとするも火に油を注ぎ、談志からはたびたび叱責を受けたのだという。

他の弟子より、何倍も怒られました。この本を書くにあたり勘定したところ、入門してから談志が亡くなるまでの20年間、7000日の中で1日複数回怒られたこともありますから、大袈裟でもなくおそらく1万回は怒られていると思います。(「はじめに 『そこまでやる』から突き抜ける」より)

ただし、談志の怒りの根底にあったのは間違いなく「気づかい」だ。表現はストレートで攻撃的かもしれないが、だからこそ著者の心の奥底まで届いたのだろう。だから、著者の実体験に基づく「失敗ドキュメンタリー」である本書にも、談志ならではの“ささいな気づかい”が見え隠れするのである。

「すみませんでいいんだ、馬鹿野郎!」

著者は落語家人生で初めて談志から小言を食らったとき、ついサラリーマン時代の癖で「申し訳ございません」ということばを返していたのだという。ところがそこを突いてきた師匠はさらなる怒り、小言を返してきたのだそうだ。

「申し訳ございませんじゃねえ、すみませんでいいんだ、馬鹿野郎!」(26ページより)

基本的にサラリーマンは、ドライな人間関係の上に成り立つ職業。お得意先はもちろんのこと、社内の上司・部下なども含め「利害関係」が基盤であるため、ウェットだとものごとは円滑に進まない。そのため、ひとまず「申し訳ございません」と機械的にいっておけば大過なく過ごせる。

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