グラッドウェル曰く、人はこうした「unconscious prejudice」(無意識の偏見)に支配されやすい。つまり、中身にかかわらず、パッと見た外見で、人の印象は決まってしまうということだ。
特に、誰かが突出するよりは、全員が肩をそろえた協調性、チームワークが重んじられる“農耕社会”日本とは異なり、“肉食系”競争社会のアメリカでは、こうした頭一つ抜ける存在感がリーダーシップに不可欠な要素だととらえているのだろう。多民族・多文化社会を統率するリーダーには、ある意味、人を畏怖させることもあるような並外れたカリスマ力を醸し出す容姿が必要だということかもしれない。
小柄であっても大丈夫
では、小柄な人はチャンスがないのか、といえば、決してそういうことではない。身体のサイズ以上に大切なのは、やはり個人の度量・器量であり、カリスマ力といったものは、ほんのちょっとした努力で、少しずつ積み重ねていけるものなのだ。
コミュニケーションの持つ、魔法のような力に魅かれて、ひたすらその奥義を追求し続けてきた「コミュオタ」(コミュニケーションオタク)の筆者であるが、新聞記者時代は、コミュニケーションの要諦は結局、「何を言うか」なのだと思っていた。トップの発言も、一言一句、その内容こそに価値があると信じていた。しかし、記者を辞め、ニュース価値以外の視点で客観的に人物像を判断するようになった時、人のコミュニケーションにおいては「何を言うか」(バーバル)ではなく、見た目や声など、内容以外の要素(ノンバーバル)の影響力の方が大きいのではないかと気づいた。有名なメラビアンの法則にあるように、人の印象は結局、外形的な特徴で決まってしまいやすいものだ。
中でも、顔の表情、ジェスチャー、姿勢、立ち方、座り方から握手の仕方などといった「ボディランゲージ」の影響力は極めて大きい。アメリカでは、この「ボディランゲージ」のスペシャリストと名乗る人がごまんといる。顔の表情からウソをついているか読み取るエキスパートから、大統領討論で候補者のボディランゲージを分析し、その心情や本音を読み解く専門家までおり、そのマスター法を伝授するビジネスプロフェッショナル向けのセミナーやクラスも数多く存在している。
筆者もいろいろ受けてみたが、「うその見破り方」などのスキルには首をかしげる部分もあったし、日本人にはちょっと応用できないかな、というノウハウもあったが、確かにちょっとしぐさを変えるだけで、人に与える印象力がまったく違ってくる。その超絶パワーに驚きの連続だった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら