「最盛期1328人→現在47人」ある限界集落の歴史 「007」ロケ地、鹿児島県南さつま市・秋目の歩み
さらに、俳優たちのために冷房バス、トイレカー、ドリンクカーといったさまざまな設備を備えた車が常駐していたそうだ。当時の集落の人たちは、この大掛かりなロケをどう思っていたのだろうか?
「映画も007も知らないから、だまされているんじゃないか!と思っていたじいちゃんばあちゃんもいるらしいです」
ロケが終わり、1967年に映画が公開。その後ロケ地である秋目に人が押し寄せ……というほどのこともなく、秋目が「007」ロケ地であると大々的にPRされるようになったのは大分後のことになる。
「007の記念碑ができたのが1990年なんですよ。それからしばらくすると『どこに記念碑があるの』って観光客の人も少しずつ来るようになって認知されてきて。特に今がすごいですね」

上塘さんが宿を継いだのは記念碑ができて十数年後、2002年33歳の頃だった。大学卒業後、料理の勉強をした後に地元役場に勤め、それから家業に入ったのだ。
007は少年時代の憧憬
神奈川県在住、医学博士であり007の大ファンである大藤道衛さんは少年時代に『007は二度死ぬ』を見た際に、秋目の漁村風景の美しさにすっかり魅了されて「いつかこの漁村に行ってみたい!」という思いを抱き続けてきたという。映画を繰り返し何度も見るほど熱狂したが、その後大人になり、仕事に追われる日々を送るうちにいつしかその思いもおぼろげになっていった。
そんなある日、ネットで007の記念碑のことを知り、映画に登場した漁村が秋目という場所であったことを知る。一気に少年時代の熱狂がよみがえった。そうして2007年にはじめて訪れた秋目では、映画で見た風景の数々を実際に目にして、夢中になってカメラのシャッターを切りながら40年前の自分に戻ったような心地よい気持ちで過ごしたという。その後も毎年のように秋目を訪れては、故郷にいるような気持になるという。
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