「アリ戦の後、猪木さんは控室で泣いていたな」 藤原喜明が振り返る「永遠の師匠」の生き様
俺は今75歳で、キャリアは52年になった。自分のベストバウトなんて聞かれても1つを挙げることはできない。
プロレスラーにとって試合に出るのは毎日の仕事。「今日はいい仕事をしたなー」なんて思える日はたまにしかないし、しょっちゅうそう思っているヤツにはろくなのがいない。
本当に満足のいく仕事なんて、一生のうち1つか2つだよ。そのうちの1つをあえて挙げるとすれば、第1次UWFでやった佐山(スーパー・タイガー)との試合かもしれない。あの試合は、猪木さんの「プロレスは闘いである」という考えを、俺と佐山が形にした作品だったんじゃないかな。
「心臓が止まるまで」が俺の現役
この歳までリングに上がっていると「いつまで現役を続けるんですか?」なんて聞かれることがあるけど、余計なお世話だ。心臓が止まるまでだよ。プロレスって人生そのものなんだよね。
若くてハチャメチャな時も面白いし、円熟期も面白い。年を取って力が落ちてきても一生懸命やってる姿が誰かの励みになったり、死んでから伝説になる人もいる。生き様を見せていけば、その年代その年代で何か観客の心に訴えるものが見せられるんだ。
ゴッチさんが「誰でも歳は取る。だが、必ずしも年寄りになる必要はない」って言っていたけど、いい言葉だよな。俺もその言葉を胸に日々を生きているよ。
猪木さんが亡くなる前、闘病中でもずっとユーチューブ配信をしていたのもプロレスラーの生き様を見せてくれていたんだと思うよ。猪木さんに付いていた人に話を聞くと、配信が始まるまではぐったりしていても、カメラを向けられた瞬間シャキッとして、「元気ですか──ッ!」と精一杯の声で叫んでいたらしい。
プロレスラーってそういうものなんだよ。リングに上がったり、お客さんの目があると、スーパーマンになれるんだ。
マサ斎藤さんが晩年、パーキンソン病で車イス生活になった状態で試合会場に行って、リング上で海賊男に扮した武藤敬司に襲われた時、自分ひとりで立ち上がって、武藤をチョップで倒してストンピングまでやったんだよ。
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