宇宙飛行士が50代を前に直面「行き詰まり」の苦悩 野口聡一さんが転職を自分事に感じ始めたとき
実際、現場のエンジニアが「宇宙に行くためにはこれが必要だ」と思ってやっているのに、「それは経営方針と合致しないから」と上司に言われてしまうと、非常にモチベーションが下がるということが起きていました。そういう閉塞感が、すごく大きく職場を支配していたように思います。
アメリカでは現場の宇宙に物を運ぶ、人も実際に飛んでいく環境で働いていたのに、日本では経営企画とか年度目標のようなものばかり掲げて、ぎしぎしと締め付けてくる。現場作業そのものよりは、いかに年度末の報告書の体裁を整えるか、みたいなことが続いていきました。
こうして、2度目のフライトを終えた2010年から、最後のフライトに飛び立った2020年までの10年余り、私は深い淵の底にたたずみ、展望の開けない将来を思って悩み続けることになります。
JAXAから飛び出した人々を訪ねて
職場への不満と悩みが募っていたとき、私が頼ったのは、転職して社外に飛び出した先輩や同僚たちでした。本当によく話を聞きました。社外に出た人たちは、同じような悩みを抱えた上で外に出ているので、ケーススタディとしてとても参考になりました。
他の会社や組織でも同じかもしれませんが、現役職員が組織を辞めた元職員の先輩に会うのは、歓迎されない風潮が組織内にありました。JAXA職員はみなし公務員であるのに対し、退職者は民間人ですから、両者が接点を持つことはすなわち民間人への便宜供与ではないか、と疑われる危惧がありました。
いや、もっと言えば、定年前に辞めた元職員に現役職員が接触すれば、まるで裏切り者扱いされるような恐れすらあり、なかなか話を聞きに行けない雰囲気があったのです。
でも、そこをあえて訪ねてみると、みなさん、喜んで話をしてくれました。必ずしもJAXAの悪口ばかりを言うのではなくて、離れてみるとJAXAはかなり自由でいい組織だったみたいな話も聞かせてくれました。
その上で、みなさんそれぞれの理由があって辞めたのであって後悔はしていない、という話も聞けました。
転職していった方々の話を聞くことは実に重要で、みなさんにもお勧めします。単線的だったキャリアの複線化に向けて、いろんなケーススタディを集めておくことは実に大事なことなのです。
このように、私が次のステージを意識してヒアリングを重ねるようになったのは、50歳になったころでしょうか。
気が付くと、入社以来お世話になっていた上司が定年退職を迎えて新天地に移ったり、再雇用されて業務スタイルがすっかり変わって困惑したりしている姿を間近に見るようになりました。
「次は自分だな」と、転職が自分事のように感じられ始めたのです。
【次の記事】野口聡一がJAXAを「定年前退職」して築く独自路線
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